仕事

 本当にお久しぶりです!

 

 

 こんばんは。 お元気ですか? 本当にお久しぶりです!

 

 前回の更新から、はや3ヶ月余り。 季節も夏から秋、そして気が付けば、もう朝晩が冷え込む季節となりました。 ほんとに月日の経つのはますます早く、決してひとつところに留まっていてはくれませんね。 タイムウェーブ・ゼロ理論というのがありますが、まさに、そういった方向に進んでいるのではないでしょうか。 これは地球規模の出来事のような気がします。 近い将来、人類にとっての時間の概念が、今のものとはまったく違うものになっているのかもしれません。

 

 しばらく更新が途絶えてしまった間にも、コメント、メール等にて心配して下さった方々、たびたびチェックして下さっていた方々へ、本当にありがとう! おかげさまで、こうしてここに新しい記事をお届けできました!

 

 実はあれから色々あったのです。 あれから私は、安定した生活の基盤を失う事態となったのです。

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 17年在籍し勤め上げてきた会社を8月31日付けで退職致しました。

 

 下記のメッセージは会社のみんなに送ったものです。 実名でいきます。 本意であり、隠すような内容ではないと思うからです。

 

  志村運送の皆様へ  みなさんお疲れ様です。

 日々の安全運転、本当にご苦労様です。  このような書面にて、皆さんとの別れの挨拶とさせて頂く無礼をお許し下さい。

 私事、この度、一身上の都合により、2009年8月31日付をもちまして、17年在籍させて頂きました、この志村運送を円満退職させていただく事と相成りました。 在籍中は、愚直で捉えどころの無い性格、世間知らず、かつ傲慢、さらに若い時分は生意気盛りで、諸先輩方、同輩、あるいは後輩においてまで、多大な迷惑をお掛けしたものと記憶しております。 反省するばかりです。 しかしながら、その折々において、大きな心で堪忍頂き、あるいは叱咤激励、そして影で黙して支えて頂いた数々の皆様の心遣いのおかげでこうしてつらくも楽しかった17年を過ごせてきた事に、今、ただただ感謝の言葉を申し上げたいと思います。 私がここまで生きてこられたのはまさに、この志村運送というこの会社と皆さんがいてくれたからです。 重ねて感謝を申し上げます。 ありがとう。

 これから私は、己の障害を受け入れながら、ゼロから人生の再出発の歩みを、じっくりと吟味しながら進めていく所存です。 どんな苦しい状況にあっても、自力の歩みをあきらめず、心を開き、手を差し出し続ける勇気があれば、支えてくれる人はどこかに必ずいる。 理解してくれる人がいる。 今、私はこうして何も出来ない人になってみて、そんなことを周囲の人々の中で学んでいます。 感じています。 この新たな歩み、そしてあらたな夢は、あらたな社会復帰への道を示してくれるものと確信しております。  いつの日か、別の形で、今度は、少しは皆様のお役に立てるような人間になって、喜んでもらえるような人間になって、またお目にかかることが叶うのならば、こんなに幸せな事はないでしょう。

 今まで、長きの間、本当にありがとうございました。

 もうしばらく、私は東京におりますが、そう遠くない将来、私は東京を離れる事になると思います。 現在の連絡先を別紙に記しておきます。 なにかありましたら気楽に、あるいは重くとも連絡を下さい。 食や農業の事、健康、病について、福祉、こころ、人と人、自然、宇宙の話、目に見えない世界の話、これからの世界の話など、結構話せるかと思います。

 2009年9月1日 好日

      原 康彦    

 

 どうやめるかは、私にとってとても大事な事でした。 身体的、心情的な影響を考える事はもちろんの事、その後の生活の心配もあり、不安がほぼ毎日押し寄せていました。

 

 現状、以前のような正規の就労が難しいであろう事や、そのような状態における雇用は会社としてもできないとの話があり、また、健康保険組合の傷病手当金は1年半の期限が迫っていました。 いくら病気であろうとも、それ以上の手当てはもらえない決まりがあるのです。 果たして私はやめざるを得ない状況となった訳です。

 就労支援センター、生活支援センターの方々や、市役所の障害福祉課、生活保護の必要も考えられたので生活福祉課の担当の方など、出来うる限りのいろんな人たちに相談を受けてもらいました。 もちろん主治医の先生とも話をしています。 実際にやめるという意思が固まってからはハローワークの障害者相談窓口にも通い、不明な点を問い合わせ、生活が可能な、最善の選択を探りました。 幸い、有難い事に、相談を受けてくれる人、皆さん良い人で、親身になって私の話を聞いてくれました。 その度どれだけ心が安らぎ、和らいだ事でしょう。 人を信じ、頼る、甘える事が苦手で屁のツッパリだった私も、おかげで今、だいぶ変ってきています。 これはあきらかに、鬱という病にかかり、自分を見つめなおし、そしてこのような新たな人たちとの出会いもあって、気付かされ、変ってきた事です。 日々の散歩と共に、それらの行動も良いリハビリになっているかもしれません。 以前の記事にも記しましたが、この世知辛いと思われがちな世の中で、このようなやさしく奇跡的なふれあいが、そしてセーフティーネットがあるんだ、という事に私はとても感動しています。 いろんな人やものとのつながりの中で生かされているんだなあ、と感じています。 健常者として勤めていたときには、これらはむしろ感じ得なかった事です。 普通の社会がなぜこのようにならないか、と思えてきます。

 

 結局、私は、現状において障害を持つ者として、自己都合による退職とし、新たな職探しを始めるという決断をしました。 とにかくやめざるを得ない状況になってしまった訳で、会社都合による退職を主張することもできましたし、医師の判断等、病状を考えれば、生活保護があるいは妥当だったかもしれませんが、私は私の意志で、これを選びました。 いや、流れの中でなんとなく、と言ったほうが正しいかもしれません。 導きにのったというかなんというか・・・。

 

 在籍中の苦楽はおそらく並以上にあったでしょうが、むしろ、だからこそ、まがりなりにも長年お世話になったこの会社に、波風を立てたくはありませんでした。 互いに笑顔で、感謝の中で幕を引きたかった。 会社で離職票に離職理由を記入する際、お前の事情にあわせるからという意味だったのでしょう、会社側の離職理由欄等、すべて何も書かれていない白紙の離職票を渡されたときには最初戸惑いましたが、後になって社長の懐の深さを感じました。 意味がわかりました。 ここで自分の権利の主張をするのは、なんか違うな、と思いました。 それが私のメンタリティーです。

 

 障害者手帳を申請していた事が幸いして、ハローワークでは、やむを得ない事情による退職が認められ、待機期間なしで雇用保険を受ける事ができる事となり、私の生活はなんとか保たれる事となったのです。 

 

 会社に残していた私物を整理、処分しに行った際には、乾いていたはずの私の心にも、さすがにいろいろな思い、自分史があふれて来ました。 やはり、愛着、執着があるのです。 若き日、過ぎし日の映像が、ひとつひとつ、浮かんできます。 そんな情景を、含み、味わうかのようにして、ゆっくりと思い返し、昇華し、処分しました。 最後のあいさつの際には、感極まり、涙のような感情がぐぐっ、と来ましたが、涙でこの別れを締めくくるまい、それは違う、と、湧き上がるものをこらえました。 きっと変なぐちゃぐちゃな笑顔になっていたと思います。

 

 そんなこんなで、おかげさまで円満退社となりました。 なんとも有難き。 感謝です。

 この顛末が、同じように悩んでいる人の参考になれば幸いです。

 顛末はまだ続きます。

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございました。

 

 

*この記事を含め、新たな歩みの軌跡を、新たなブログで綴っていく所存です。 今まで応援、コメント、ありがとうございました。 新たなブログアドレスは、http://inochi-no-kagayaki.cocolog-nifty.com/blog/ になります。 タイトルは「空と大地に導かれて。」です。 今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

 

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 新しい朝。  (今日の一言。 ~2月15日)

 

 

 おはようございます。 皆さん。

 起き抜けの私に、またメッセージが降りてきました。 文章化してお伝え致します。

 このメッセージは、私への私的なメッセージというスタイルをとってはいますが、その内容は普遍的な意味合いがあり、このブログを訪れた方々にお伝えする事に、私は意義を感じています。 このメッセージが、あなたの気付きの一助となれば幸いです。

 

 

昨日は一日中、あなたは、自身の、突き上げてくる不安な想いや肉体的痛みに苛まれ、まったく落ち着きがありませんでしたね。

 

本来のあなたではありませんでしたね。 他人と比べていましたね。 世間の 常識 を考えていましたね。

 

あなたはまた、そんな自分を責めて、追い詰めていましたね。 だから私はあなたをまた深い鬱に閉じ込めさせてもらいました。

 

この宇宙に、はたらく という喜びはあっても、働かなければならない というつまらぬ縛りなど一切無いのです。

 

ぷらぷら出来るときは、ぷらぷらしていればいいんです。 あくせくしない時間は、あなたの視野をひろげてくれます。 そんな時間こそ、大切なんです。

 

やりたい事をおやりなさい。 感じるままを、観じなさい。

 

私があなたを認めているように、あなたはあなた自身を認めてあげて下さい。

 

何なら、今からでもどこか遠い空の下へ、旅に出たって良いのですよ。

 

地中海、アフリカ、オセアニア・・・。

 

妙な義務感から、またあなたが働く道を選ぶのならば、それはあなたにとって元の木阿弥でしょう。

 

これからのあなたは、お金の為に、生活の為に働くのではありません。

 

人と地球の喜びの笑顔の為に はたらく のです。

 

その はたらき に義務などありえません。

 

 

 

眠りから醒めたあなたに。

 

新しい朝を用意させてもらいました。

 

 

 

(緊急追伸:”アセンション”は、とても巧妙な、新たなる選民思想です。 注意して下さい。 情報を鵜呑みにせず、受け入れられる部分とそうでない部分をしっかりと感じ取る様にされた方が良いと私は思います。 注:この追伸は、上記記事との直接の関連はありません。) 

 

 

(さらに追伸:落ち着きがなかったのは、どうやら抗鬱薬の副作用だった事が判明致しました。 私は普段、実は主治医さんには内緒で断薬しているのですが、その主治医さんとのやり取りの中で、新しい処方に切り替わった時だけ、そのお薬の作用を体で解かる為にしばらく服用して試してみると言う事をしています(ごめんなさい、投薬治療自体をあまり信頼していないんです)。 ちなみに今回の新薬は”エビリファイ”というお薬でした。 なにかじっとしていられず、ひとつの姿勢を保つ事が出来なくて、貧乏ゆすりがしたくなったり(私は普段は貧乏ゆすりは一切しません)、腕を盛んに動かさずにはいられなくなったり等の症状が出ました。 ひとつの事に集中が難しく、パソコン作業等は5分と集中できず、ON/OFFを繰り返してしまう始末でした。 起き上がって体を動かす事はできるのですが、何だか無理やり動かされているような感じがして、本来の自分ではない様な感じが強烈でした。 参考になれば幸いです。)

 

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございました。

 

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 「労働」と「お金」 (前記事に続いて)

 

(この記事は、前記事、 「やっぱり掃除は気持ちがいい!」  に続いています。 前記事も併せて読んで頂ければ拙も幸いです。)

 

 わたしはそもそも、「労働」という言葉が嫌いなんです。 「労働」という言葉の裏には、嫌な事を嫌々やっている、という意味合いが暗に含まれている様な気がしてしまうのです(「奉仕」という言葉もあまり好きではないのですが・・・)。 ”働”はまだ良いとして、あまりよろしく感じないのが”労”です。 ”労”はどことなくネガティブで、大変な事をしているんだ、という感じがして、人に認められたい、報われたいなど、相手に何か求めているものを感じてしまう。 それはいったい何なのでしょう? 「対価」でしょうか、「報酬」でしょうか、それとも”ねぎらい”でしょうか・・・。

  

 「対価」を求め始めた途端、その人の「労働」は、値踏みの対象になってしまう。 まるで、自分で自分に値段をつけてくれ、と言って、プライスカードを首からぶらさげているかの様です。 人が、はたらく、という本来尊いはずの行動が、この瞬間に打算的で、隷属的で、俗物的なものに成り下がってしまう。 お金を払うのだからやってくれ。 やったのだからお金をくれ。 これがお金の本質、ひとつの側面でしょう。 私はそもそもこの関係が嫌いなんです。 この時点で、同じ人間同士の関係に「売り手」と「買い手」という明確な立場の違いが生まれ始め、さらには、「経営者」と「労働者」という、主従関係、支配構造もそこに誕生する。

 

 振り返ってみると、私が帰農志塾で大地と共に、皆で共にはたらかさせてもらった5日間は、決してその様な「労働」なんかではなかった。 厳しい5日間ではあったが、私は、お金に代えられないたくさんのものを頂いていた様な気がします。 それは、えもいわれぬような、素晴らしき日々でした。

 

 それだけではない。 想い起こせば現在休職中の職場においてもそうです。 現在も含めて16年の日々は、とても語りつくせず、とうてい「お金」で計れるものなどではないでしょう。 日々の「労働」の中に、「奉仕」を見出す事は決して難しい事などではなく、むしろそのほとんどが「奉仕」であろうと思います。 それがあるからこそ、この日本という国は何とか今日もこうして廻っているのでしょう。 有難き事です。 時間を切り売りする感覚の強い欧米の人よりも、日本人ならば、とりわけ、その事が篤く思われるのではないかと思います。

 

 さて、私が好もうと好むまいと、こうしてお金は流れ始めるのです。 市場という大きな海に、個々に切り取られてしまった「お金」に姿を変えた「労働」がいよいよ放流されて行く・・・。 やがてマネーゲームの対象となって、「対価」として個々に切り刻まれた心が金融市場という更なる大きなダイナミズムの中で、更に大きく売り買いされて行く・・・。

 

 私達はそこに、何を見出しているのでしょうか。

 

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 確かにお金は便利です。 とんでもなく便利です。 だからこそ、有史以降、さまざまな変遷を重ねながら、今もなお、人と人をつなぐ道具として、信頼され、愛用されてきているのでしょう。

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(日本銀行は株式会社。 そして、千円札のどこにも”日本国”と書いてはありません。)

 しかし、その便利さの影で、私達が犠牲にしているものは何でしょうか。

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(富士山頂から見下ろしているこの”目”は、何を意味しているのでしょうか。)

 現在の「お金」は、2009年になろうとしている今、私達が使う道具として、ふさわしいものなのでしょうか。 ぜひ一度、吟味されてみてほしいと思います。 また、改良の余地はないのでしょうか。

 最後に、「お金」について私が大いに考えさせられた、あるテレビ番組の動画をアップしてくれているページを皆さんに紹介して、この記事を終えたいと思います。 今から10年近く前に、NHK BSで放送された、「おかねの革命~エンデの遺言」というシリーズ作品をzowgenさんという方がアメーバビジョンに6本に小分けしてアップしてくれています。 1動画約30分と少し長いので、お時間のある時に、じっくりとどうぞ。

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 1/6 ~根源からお金を問う~

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 2/6 ~根源からお金を問う~

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 3/6 地域通貨の“希望”

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 4/6 地域通貨の“希望”

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 5/6 銀行の“未来”

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 6/6 銀行の“未来”

 

 まるで有機物の様に、持っている内に老化して、消えて無くなるお金。 つまり、貯蓄していても意味が無いお金。 人間のずるさ、いやらしさを助長しないお金。 自然の摂理と相反しないお金。 なるほどな、と思いました。

 

 お金というものが、そもそも実体など無く(古い時代は別ですが)、人と人との互いの信頼関係、信用によって成り立っているものならば、それを変えていく事は不可能な事ではないはずです。

 

 

 

 

 いつも、愛読下さり、ありがとうございます。

 

 

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 お元気で。

 

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 農業体験、行って来ます!

 

 皆さん、こんにちは! お元気ですか? 大変ご無沙汰しておりました。

 ブログの更新がかなり滞っていましたね。 ほったらかしになってしまってすみません。

 こちらはおかげさまでなんとか元気にやっておりました。 

 さて、突然ですが・・・。

 これから私は、栃木県にある、帰農志塾というところに農業見学、体験に行って参ります。 農業の実際を肌で感じてきたいと思います。

 今、正直、期待と不安が入り混じった気持ちではありますが、実りある旅にして帰って来たいと思っております。

 帰ってから皆さんに楽しい報告ができたら、と思っております。

 

 では、行って参ります!!!

 

 

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 新・農業人フェアーに行ってきました。

 

 先週の土曜日、9月13日、浅草にある、都立産業貿易センター台東館で開催された新・農業人フェアーに行ってきました。

 

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http://www.nca.or.jp/Be-farmer/event/seminar-1002304.php
 

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なかなかの盛況です。

 このイベントは、各県、各市町村などの新規就農支援団体、農業法人さんなどが全国から集まり、私のような、新規で就農を考えている人、また、田舎暮らしに興味のある人などと顔合わせをして、相談ができる、というものでした。 現在、食料自給率が低く、危機的状態にある日本ですが、このように、農業に関心を持たれている方も決して少なくはないな、という実感を持ちました。

 このイベントにぜひ行ってみたい、と思った時から私は、散歩を始めるようになりました。 自分にも多少負荷をかけても、なんとか体もついてきてくれて、朝も早起きになり、睡眠障害も徐々に改善されてきています。 自身のある程度の規則正しい生活、そして健康に、より重点を置くようになり、鬱も、だんだんと、なりをひそめるようになってきています。 (今朝は低調でした。 まあ、こんな時もあります。 徐々にです・・・。)

 私の mixi のトップページ(http://mixi.jp/show_friend.pl?id=19055531)にも記していますが、鬱は間違いなく社会不安病であり、自己の魂と社会、周囲の状況との適応障害病だと思います。 つまりは社会的な関連性の中で捉えるべき病であるという事です。 これはあくまで私の見解ではありますが、鬱病を個人の病気という小さな枠で捉えようとするのは間違っていると思うのです。 ましてや西洋医学では、これを頭部の神経伝達の異常として、さらに小さく切り取って捉え、薬物を与え、解決しようとしているのですから、無理があります。 やはり、大事な事はまずは自分の人生に目的を見出す事ではないかな、と思います。 もっと平たく言いましょう。 やりたい事を見つける事です。 そして、今ある社会の中にその可能性を見出し、育てていく事が大事なのではないかと思います。 その過程に於いて、どれか一つが欠けていても、改善は望めないでしょう。 自ら生きようとする、喜びにつながる意欲。 それを感じる事が出来てくれば、気付いた時には鬱が改善されているような気がします。

 

 ちょっと脱線してしまいました。 すみません。

 なにしろ、そんなこんなで、私は期待を胸に、「新・農業人フェアー」に行って参りました。

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 受け入れ先との、ビビっと来るような劇的な出会いを、私は心のどこかで期待をしていて、もしそんな出会いがあったなら、その場で決めてしまおうと思っていたのですが、残念ながら、それはありませんでした。 ですが、漠然とした自分の、農業に対する今の思いを、少し具体的にしてくれた、意義のあるものとなりました。

 一口に農業をやりたい、と言っても、いろんな作物、形態がありますし、どこでやるかにしても、その地方、土地と作物とは密接な関連があります。 技術を身に付けるにしても、いろんな形がありますし、いざ、新規就農となれば、資金の問題もあります。

 私のような、未経験で技術もなく、お金もない、伝手もない。 年齢も、もう40歳になる。 けれど思いだけはある、という人でも可能だろうか、からだひとつで飛び込んでいけるのだろうか、という所が一番の知りたいところでした。 が、その心配は杞憂だったようです。

 この背景には、やはり、農家の方々も困っている、という現状があるのだと思いました。 そして、関係されている方々の、何とか地方を、農業を盛り上げていきたいという思いを感じました。 私は5つほどのブースでお話を聴く事ができたのですが、どれも好感触で、なんとなくいけそうな、大丈夫そうな感触を得る事ができました。

 しかし、まだまだ先は未知数で、正直、だだっ広い太平洋に、あるいは、荒くうねる日本海に、手製のいかだで出て行くような感じではあります。 これをもっと確信に近づけていきたいと思っています。

 一番の心配は、やはりお金なんです。 お金。 例えば、お米で新規就農をして、生活していけるだけのお金を得たいとしたならば、しっかりとした技術を身に付けるのは当然の事ですし、自己資金のない人は、かなり綿密な就農計画書を作り、支援団体さんに認められる必要があります。 仮に認められたとしても、ウン千万単位の借金をする事になります。 支援といっても、そこはそれ、あくまで借金なんです。 残念ながら、こういったシビアな視点を持って、作る作物も選んでいかなくてはならないのです。 日本人の健康の基本であるお米を、うまい米をつくって、みんなに喜んで食べてもらいたいんだ、と思っても、そのまっすぐな思いは、簡単に捻じ曲げられてしまう訳です。 まあ、米作りをサブで考えれば良いかもしれませんが。

 まあ、不安を挙げれば、本当にキリがありません。

 何よりも希望を大切にしたいと思っています。 何となくいけそうだ、とか、考えているとわくわく、いきいきしてくる、とか。 そういう感性を大切にしていきたいと思っています。 不安や不平不満を抱えながらいやいや農業をやるのだとしたら、結局元の木阿弥です。 やらないほうがましです。 なにより、そんな心持ちでは、良い作物は決して出来ないでしょう。 生き物が相手ですからね。

 おいしくて、安全で、本当に喜んでもらえる作物を作れる農家になりたい。 大地と共に汗し、笑顔でおおらかに日々を過ごしたい。 そんな思いが、今、私の中で、序々に膨れ上がってきています。

 幸い、人を育てる、という事を考えていて、わずかではありますが、お金を頂きながら2年間きっちりと研修をさせてもらえそうな所を福井県と栃木県に見つける事ができました。 故郷の青森県も気になるところではあります。

 とにかくまずは、農業体験をしてこようと思っています。 案外そこであっさりとイヤになってしまう事も考えられますし・・・(笑)。 ますます好きになって、しっかりと志をたてる事になるかもしれない。 経過は当ブログでお伝えしていきたいと思っています。 ご期待下さい。

 少しづつではありますが、鬱を越えて、私は歩み始めています。 新たな道を模索し始めています。

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 今日の東京は雨。 家で、ずっとブログ書きの一日となりました。

 

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 無償奉仕社会は可能か?

 

 こんにちは。 皆さんお元気ですか。

 

 今日は、まず、これを読んでみて頂きたい。 (MSN産経ニュース より)

 

 最低賃金が上がらないインフレ日本

 

 この気分、決して他人事ではない人も少なくないはずです。

 私などは、鬱で休職する前は、何年もこのような気分に覆われながら仕事をしていました。 長年一つの会社で精魂込めて働けど働けど、十把ひとからげの日給月給、昇給も無く、あからさまに残業代がカットされた給与明細をもらうたびに落胆していたものです。

 独身だからまだいいものの、これじゃあ家庭も持てないよ! 子供なんか育てられやしない・・・。 社長! 訴えてやるぞ! 自分はマンション建てやがって! などと心の中で思ったことは一度や二度ではありませんでした。

 自身の健康、及び、職場の環境衛生上、そしてなにより、人間として、こんな日々が続くのはあまりに空しく、悲しすぎます。 私の 「何の為に生まれてきたのだろう?」 の問いは、決して今始まった訳ではありません。 これはまさに現代社会の病巣のひとつです。

  「勝ち組」、「負け組」、などという品の無い、つまらない言葉が生み出され、今やそこかしこに跋扈しております。 「人生はゲームさ。」 などという言葉がかっこよく聴こえたのは、とうの昔の話です。 今、その言葉はまるで、風雨にさらされ、ひびわれた薄っぺらいプラスチックのようなものに感じられはしませんか? 

 あまりに行き過ぎているのです。 ゲームが度を越してしまっているのです。 そして多くの人々は、魂の感覚が麻痺してしまっていて、その事に気が付かないのです。 しかしながら、同時に、決して少なくない人々が、そのからくりに、何となく気付き始めているのではないでしょうか?

 

 ここで、ひとつの本を皆さんに紹介致します。

 

 「世界の半分が飢えるのはなぜ?」 

 ジャン・ジグレール 著    たかおまゆみ 訳   勝俣 誠 監訳

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 貧富の差とはいったいどのようにして生み出されるものなのか? そしてその現状は? と言う事が、父と子の会話形式に則って、アフリカを初めとした、世界中における具体例を淡々と挙げる事によって、読者の心に浮かび上がってきます。 良書です。 おすすめです。

 貧困が、人の手によって生み出されている事は確かです。

 お金という物は、人類自身が生み出した、ただの概念にすぎません。 価値基準のひとつです。 それが自分らで自分らを呪縛している・・・。

 それをうまく利用し、操作しているのが、ユダヤのシオニスト達です。 現在60億の地球の人口における、ごくごく少数の人たちです。 それらこそが、いわば、ほんとうの「勝ち組」です。 彼らが利息をつけて新たなお金をつくり、貸し出し、回収する事によって経済が、世界が回っているのです。

 金融資本主義という構造上、それは常に右肩上がりでなければ成り立ちません。 常に膨らんでいかなければならないのです。 だから戦争を企み、起こすのです。 戦争は儲かるのです。

 わたしたちは、なんやかんや言いながら、踊らされているのです。 毎月まがりながらも給金を出してくれている社長も。 そして、あの福田さんも、ブッシュでさえも・・・!。 (まあ、ブッシュは理解した上で、確信犯として立ち回っているのでしょうが・・・。) まずはそこに気が付いて下さい。

 膨らみ続けなければならない「お金」というものに対し、「地球」という生命は、つねに循環しています。 そして、それは定量です。 そこに、宿命的な歪が生じているのです。 そして、それが、もはや抜き差しならない状態にまでなっているのが現在の地球です。

 地球温暖化説は、新たなお金を創出するための口実にすぎません。 ここでも、わたしたちは踊らされているのです。 地球は地球のペースで生きているだけです。

 わたしたちが、勝手に自分達の理屈や事情を地球にあてはめようとするから、地球の環境がおかしくなっているのです。 これもまた、抜き差しならないところまで来ている事は、皆さんも肌で感じている事でしょう。

 ここのところ続発している変な事件、鬱症状の増加なども現代を反映していると言って良いでしょう。 すべてはつながっているのです。

 給料が少ない、増えない、などと言っている場合じゃないんです。 日本は諸外国に比べたら、まだまだ「勝ち組」です。 この”比べる”と言う事自体にも疑問を感じるべきではないでしょうか。 わたしたちがこうしているうちにも、貧困国では、劣悪な生活環境に置かれ、奪い奪われる毎日に明け暮れたり、餓死したりしている人たちがいるのです。

 一方に持てる者が出現すれば、必ずもう一方に持たざる者が出現する。 人類が「お金」という価値基準を選択しつづける限り、この問題から逃れる事はできません。 この三次元物理社会において、パイはひとつなのです! 有限なのです!

 世界的に見て、まだ「勝ち組」にいるわたしたちから、新たな概念、価値観を創造して、提唱していきませんか? 今の状況に疑問を感じている、いわば「負け組」にいる人ほど、この感覚は掴みやすいはずです。 いつもより視点を少し拡げて、自他を見つめ直してみませんか? 「掴」という漢字が表しているように、国を、そして世界を「掴」んでみませんか? 

 わたしたちがこうしてこの世に生まれてきて、本当に魂が欲している状態はどんな状態なのか? そこに到達するには、どうすれば良いのか。 どういう社会にしていくべきなのか? その為に私個人はどう歩むのか? をきちんとごまかさず、考え、行動に移して行く時なのではないでしょうか。 

 汗水流すのは良い事なんですけどねえ・・・。

 「生涯シングル」の不安 「お金」「家」「介護」「孤独」への処方箋 (@Niftyニュース:読売ウイークリー より)

 この記事にあるような狭い価値観に縛られた、無味乾燥な人生を送る事は、もはや私には無理なような気が致します。 また、もはや現実的に無理です。 年収300万前後固定の底辺層にとっては、それのみでマンション、子育てなんて無理です。 老後など言わずもがな。 否、上記は失礼な言い方ですね。 このような人生すら、私には送れないと言った方が妥当ですね。

   

 私は今、考えに考えております。 そして、この鬱屈した現代をしっかりと心に感じ取っておきたいと思っております。 この先、私はどういう行動をとるのだろうか。

 

 

 ひょっとしたら、このような想念に振り回される事自体、お金に踊らされている証拠なのかもしれません。 お金は、人がつくり出したもの。 ゆえに、神のつくり出したもの。 それにつばする事は、己につばする事。 悪をも愛せよ。 悪をも愛せよ。 そして他者への愛からにじみ出る変化を望まねば・・・。 悪想念を行動の発端にしようとするのならば、それは断じて許されない事だろう。 (8月25日、これを追記し、この記事を神妙に再掲載させて頂きます。 皆さん、いっしょに考えてみませんか。)

 

 

 意見、お待ちしております。

 お読み下さり、ありがとうございました。

 

 

 ペルセウス座流星群でも見て、ちょっと頭を冷やす事にします。

 

 今、ここに感謝を。

 

 

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 ”””ひきこもり。ほんとの話。

 現実的な夢だった。 今の私の心境を比喩的に表している。 夢の中でも私は将来に不安を感じている。 なんてこった。 やれやれだ。 次のドラマへの扉を開けることができないでいる・・・。 夢の中ぐらい景気良くおもいきりいって欲しいもんだ。 なにか新たな展開を示唆して欲しいもんだ。 しかしその他力本願が良くないのかもしれない。

 まだ私は、具体的な行動に出られないでいる。 まだ見えてこないのだから仕方がない。 とりあえず会社には一ヶ月休職させて欲しいと伝えてあるので、数日中に、いや、明日にでもこれからの意思を伝えなければいけない。 もうひと月、時間をもらいたいと思う。 しかし、さすがに会社が許してくれるかどうか。 これは伝えてみなければわからない。 解雇かもしれない。 でも、それならそれで仕方がない。 素直に戻る気になれないのだから。 ここでまた中途半端な気持ちで戻ったら同じ事の繰り返しになる。

 体を使い、汗して働いて、人様から感謝されてお金をいただく。

 そのこと自体、なんら引っかかるところは無い。 とても理想的なことです。 日々の努力の甲斐があって、得意先さんに喜んでもらえて少しずつ信頼関係が育って行く時などは、とても充実感があり、幸せでした。 若かった二十代の頃は、後輩の面倒をみるのが好きで、よし、この会社、俺が引っ張っていってやる! などと勢いづいていた頃だってありました(結局その後輩に先を越されましたが・・・。 そして、転職しました。 今なら笑える。 良い友達です。)。 夜中の3時に家を出て、夜の8時に帰宅の毎日でも、なんて事はありません。 引き受けた仕事は、とことんまでやります。 人がやろうとしない細部にまで、私は気を配ります。 人からあきれられるくらいに・・・。 私には放って置けないからです。 いろいろな事を教えてもらい、学ばさせてもらい、仕事自体に充実感を感じていました。 お疲れ様で仲間と飲む酒もうまかった・・・。 それが私の幸せでした。

 私はいろんな事が見えすぎてしまったのかもしれない。 会社が得意先からいくらもらっているかとか、そこから社長がどんな分配の仕方をしているかとか、今の上司の好みや(前の専務には可愛がられ、期待をかけてもらいました)、それとの信頼関係。 変わってしまった人間関係の事。 それに伴う将来性。 今の会社の有様。 今のこの業界の事・・・。 私は理想を追い求めすぎているのかもしれない。

 でもそれだけではない。 むしろそんな事は大した事ではないです。 上記のことに対しては、私は自分の信念を貫き通せば良いだけですから。

 何か違う事をやってみたいのでしょう。 15年間ひとつの所に勤め続けて、一息つきたくなったのでしょう。 得意先だったある和菓子屋さんの仕事が経費削減の為、定車の運送業者をすべて切る事になった事で、ふわ~・・・、と全身から力が抜けてしまいました。 私は人生の他の可能性も考え、試してみたくなったのです。 ずっと見ない振りをして、(そうしないと日々の暮らしは続けられない。)置いてけぼりだった大いなるこの世の矛盾、私の中の矛盾についても、もっともっと深く考察して、もっとはっきりと突き止めて、理解し、それを自分の中で受け止めて消化したいと思うのです。 そこから、また前に進めば良いのでしょう。

 あぁ。 やはり日記というものは良い。 こうして書き連ねてようやく気分が落ち着いてきました。 心地よい疲労感があります。 疲労感って大事ですね。

 もし、私のこんな吐露ばなしに最後までつきあってくれた人がいるのであれば、感謝を申し上げたいと思います。 いや、ほんとに・・・。 そして、お疲れ様でした。 ありがとう。

 会社には、明日、勇気を持って、もう一ヶ月休息する旨を伝えようと思います。

 では、また。 お元気で・・・。

 

 

 只今預貯金35万。

 

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ありがとう。 ブログ。

 こんにちは、お元気ですか。

 今年の冬は何だかとても寒く感じます。 肌に染み付く寒さと言うか・・・。

 ひきこもり暮らしも今日で21日目となります。そういえば今は21世紀ですね。(関係ないですね)。 仕事をしていた頃もそうではあったのですが、時の経つのが早くなっている様に感じられます。 皆さんはどうでしょうか。 精神世界では「ナノセカンド」等という言葉もあるようですが、今日はそちらの方向の話ではなく、今の心境について語ってみようと思います。

 正直、得体の知れない不安のようなものがあります。 今月は働いていないわけですから、当然、このままいくと来月の収入はありません。 今までの貯蓄が40万ほどあるのですが(公開してしまった!)、何か独立開業するにしてもおぼつかない額です。 東京での一人暮らしですから、そこそこお金もかかります。 いつまでもこの状態をつづけていられる訳でもありません。 無目的にネットをだらだらやって、惰眠をむさぼっていると、貴重であるはずの時がどんどん過ぎていきます。 「お前は何をやっているのだ。」 そんな声も自分の中から聴こえて来ます。 誰も何も言っていないはずなのに・・・。 ご家族と同居されている方は、ここにもっとある事無いこと色々な想いがからんでくるのでしょうね。 そして自分で自分がいやになってしまい、マイナスの連鎖に入っていってしまう。 つらいですよね。

 ここで ハタ と思います。 そもそもこの環境は自分で選んだのです。 今まで属してきた職場に何年も前から疑問を感じていて、それが年月を経て、自分の中で熟成され、感情的な部分とは別のところで、このままここでつづけていても同じことの繰り返しだな。と思えるようになったのです。 少し離れたところで、じっくりとこれからの人生を考えてみたい。 と、休職というかたちの行動に出たのです。

 職場に対する疑問とは、いいかげんな給与制度(法的にも難あり)、それに関連して、長くいる人を大事にしないしくみ、今の上司との間合いの悪さ、それに伴った人間関係の変化等々・・・。今思うと、結局はこの集団との”縁”の深さが如何程か、というような事を感じ取ってしまった訳です。 そしてその発展性に希望を持てなくなってしまったのです。

 「そんなもん、お前の気持ちの持ち方しだいだろうよ。 甘えたことぬかしてるんじゃねえぞコラ!」 という声が聞こえてきます。 わかっています。 おっしゃるとうりです。 それでも尚、考えてみたかったのです。 15年続けて働いてきた会社です。 それなりの思いはあります。

 今は時代が進んでいて、パソコンが当たり前に世間に認知され、ネット環境が世界までつながっています。 私もおかげ様でこのようにブログというかたちで日記を書いて、鬱屈とした気持ちを整理する事ができます。 昔の人はこんなとき、筆を執ったのでしょうね・。 私も若い頃は大学ノートに日々の想い、心の猛りを記したことがあります。 今は更にこれをひろく公開する事ができます。 とても ありがたく思います。   では、また。 読んでくれてありがとう。                                                                                                                                               

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