心と体

 黒い私

 

 

 私の中に、

 

 黒い私が確実にいる。 息づいている。

 

 無慈悲。 無関心。 無気力。 無感動。

 

 それはそれはひどいもんだ。

 

 無表情。 暗冷。 蒼白。 澄み渡るぐらいに醒めている。

 

 どうでもよくなってしまう心。

 

 怠惰このうえなし。 放置。 不潔。 不浄。

 

 貪り食う心。 執着。 隠れた強欲。 強すぎる自我。

 

 成功願望の奥に潜む、巧みな功名心。

 

 自己にのみ、 利 しようとする心。

 

 確かにいる。

 

 

 ゆえに孤独。 不安。 臆病。 神経症。

 

 真の豊かさ、安心感は何処。

 

 貝が分かれると書いて貧、木が囲まれてしまっている様が困だな、などと考えている。

 

 そして何より、

 

 この、どこまでも続くかのような自己否定。

 

 うん。 確かにいる。

 

 今日、私はこれを告白させてもらいました。 

 

 

 深層意識を制御したり、長年の間に身に付けてしまった癖を変えていくのはなかなか難しいと思う。 ほとんど無理かもしれない。

 

 

 最近、この黒い私とでも呼ぼうものが、私を覆っています。

 

 以前にも増して。 はっきりとコントラストを携えて。

 

 からだの症状としても表れてしまうから、困ったもんだ。

 

 太陽と向き合っている時、農場で働いている時、私はこれらから解放されています。

 

 私にとって、そんな時期なのかなあ。 クリーニングの最終段階だろうか。 また、今はそんな時代の空気でもあるのかな、やはりなにか変容が起こっているのかな、などと思ったりもする。

 

 とにかく困ったもんだ。

 

 

 でも、

 

 その、どれを表に出すか出さないか、

 

 その選択権が私にはあるんだったなあ!

 

 自由意志、という領域が私には許されているのだったなあ!

 

 一歩直前で踏みとどまる事のできる 自由 が私には許されているのだったなあ!

 

 見直し総点検の時期が私に許されていると思えば、とても有難いな、などと、今更ながらに気付いたりもして。

 

 

 なんとかなるか。

 

 なんとかなるさ。

 

 なんとかするさ。

 

 それが大人だもの。

 

 

 

 感謝、感謝。

 

 感謝だったよなあ!

 

 なんてやりとりを最近はしたりしてます。

 

 

 

 

 

 

 ありのままに。 あるがままに。

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ごめんなさいね。 ありがとうございました。

 

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 障害ってなんだろう?

 

 病ってなんだろう?

 病人ってなんだろう?

 そして病はどこからくるの?

 

 障害ってなんだろう?

 障害者ってどういう事なんだろう?

 

 正常ってなんだろう?

 じゃあ、僕は異常なの? 人として。

 生まれて来てはいけなかったの?

 それは違いますよね!

 

 何をもって「正常(健常者)」とするの?

 何をもって「正常ではない」とするの?

 その境目は必要ですか?

 

 最近、こんな事を考えています。

 

 私はこの社会の中で、今、間違いなくそのボーダー(境目)にいます。

 

 そのボーダーから感じる事、見えている事があります。

 

 先日、就労支援センターへ行ってきました。

 

 担当の方とお話させて頂く中で、

 

 障害は、個人の中にあるのではなく、

 

 社会の中に障害があるんだ。

 

 という話が出てきました。

 

 一瞬、簡単に解釈してしまいそうになる言葉ですが、

 

 非常に示唆に富んだ言葉で、含蓄もあるなあ、と思いました。

 

 読み取る角度によって、そしてその深さによって、いろんな受け取め方ができます。

 

 こういう方が、今の福祉の現場におられる事にとても安堵致しました。

 

 私は、私の心の中にこそ障害があると感じています。

 

 

 

 

 

 

 生きてるだけでいいんだよ。

 

 そう思えたならきっと・・・。

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございます。

 

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 リハビリ日記。 (感動)

 

 今日はほぼ一日沈んだ一日になってしまった。

 いったいなんなんだろう。

 訳も無く、何の前触れも無くそれはやってくる。

 こんな時だ。

 私は私が病人である事を自覚せざるを得なくなるのは。

 ポジティブ思考などと良く言うが、それが出来るのならば何の苦労もないのだ。 それができない何かがそこにはあるのだ。

 理屈じゃない世界、目に見えない世界の大きな大きな仕組みがきっとそこには働いている。 間違いなく。 体感からそう思うのだ。 無理なものは無理なのだ。

 深層意識の制御というものはほとんど無理なのではなかろうか。 おそらく、何らかの法則があるに違いない。 私達は、生きているのではなく、生かされている。 暗いなら暗いなりに、つらいなら、つらいなりに、そこから何かを学びなさいと、日々、手を変え、品を変え、宿題を出されているかのような気がします。 最近とみにその思いが強くなっています。

 

 今日も危なかった。

 5時前に一度目が覚め、そのまま寝て、浅い眠りを繰り返した。

 9時に目を覚まし、一度起き上がったが、不安がやって来る。

 その不安から逃れるかのように、しばらくしてまた横になってしまう。

 正午になってようやく外出出来た。
 
 また何者かに突き動かされるような感じだった。

 寝ちゃいけない、寝てちゃいけない、と。

 私は、これが私を守護してくれているもののお陰ではないか、と思っています。

 感謝しています。
 
 

 しかし何故こんなにもだるいのだろうか。

 何故こんなにも元気が出ないのだろうか。

 何もやる気が起きないのだろうか。

 こんなにも不安なのだろうか。

 

 今日は外に出て散歩をしていても終始体が鉛のように重かった。

 何なのか。

 やたらと体が重い。 公園一周も出来ない。

 何もかもがどうでもよくなって来る。

 何で私はこんな人間になってしまったのだろう。

 そんな思いにやられてしまう。

 スクワッドをしても、腹筋をやっても、腕立て、背筋をやってもダメ。

 ここ最近の反動が出ているのだろうか。

 そう思いたい。

 そうすれば、

 こんな日もあるんだ、

 明日はきっと今日よりはマシだろうと希望が持てるからだ。

 

 夢が遠のく思いがする。

 こんなことでは到底やってはいけないだろうと思ってしまうからだ。

 でも、あきらめたくない。

 

 今日は外食をしてしまった。 770円。 痛い出費だ。

 

 孤独も手伝って、今日は自立支援センターにSOSの電話をいれてしまった。

 とにかく話を聞いてもらいたかった。

 一人黙っていると、頭がおかしくなってしまう。

 

 

 ご飯は炊けてあったが、晩御飯はつくる気力が無かった。

 ロメインレタスをちぎって塩をかけて、さらにマヨネーズをかけて食べた。

 面倒だけど、これくらいは出来た。

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 塩をかけたのは、塩が体と心を引き締めてくれるような直感がしたからだ。 体が欲していたのだ。

 マヨネーズも体の事を考えると本当はこだわりたいのだが、お金の事を考えると贅沢はできない。 味の素のもので我慢している。 と言ったらこのマヨネーズに失礼だな。 安心・安全の松田のマヨネーズタイプは500円近い価格で、常食するものとしては高価でなかなか手が出せない。

 健康にお金がかかる世の中はおかしいと思う。

 お金持ちは安心安全な食材を自然食品店などで購入する事が容易にできるが、お金の無い人は、普通のスーパーで農薬のかかった、大量生産された、見栄えは良いが、元気の無い画一化された食材を買うしかないわけだ。 私などはさらにそこから閉店間際で半値に下げられるのを待って購入したりもしているのだ。

 基本の調味料や加工食品にしてもそうだ。 スーパーに大量に並ぶ安価なものは、その製造工程において、必ず不自然な化学処理がなされている。 おかげで保存も効くし、便利だ。 そして化学調味料は安価に手軽に大量に、旨味を”加味”する事に成功している。 しかし、これはにせものの旨味だ。 これにみんなだまされてしまっている。 本来旨味とは”引き出す”ものだ。 本来、元気に育った野菜はそのまま食べても旨いものなのだ。 味噌や醤油などの発酵食品はじっくりと時間をかけてこそ大豆本来の旨味が”引き出される”のだ。 HAARPや電磁兵器による終末の演出を危惧する以前に、闇の世界政府がどうのこうのと言う以前に、そして日本の政治を語る以前に私達はこの、食の世界の”演出”にだまされてしまっているのである! 微量に体内に蓄積されてゆく、真の健康を阻害するであろう要因は、なかなか数値で、そして一つのものさしのみで推し量りきれるものではないだろう。

 なぜ不自然に保存をきかせるか。 それは経済的に効率が良い、究極ただそれだけの理由だ。 盲目的な利便性の追求だ。 化学調味料による旨味の加味も同様だ。 私達は加工食品の原材料欄にこれらの表示のないものを探し出す事は、今や非常に困難になってしまっている。

 経済的効率、人的省力、人的効率化、大量生産、大量消費を我々が標榜したとき、農薬や化学肥料、加工食品における添加物の使用は、おおいにそれに貢献してきたのです。

 また、生産者の立場からすれば、今の生産物の値段では生活がままならないのが現状のようだ。 今、日本に兼業農家が多いのは、そうせざるを得なかったからである。 国の行ってきた農業に対する政策や現在の農協という組織、そして流通システムに目を向け、見直してみる事はもちろん大切だが、野菜や穀物は本来もっと高く買ってあげなければ農家の方々は専業ではやっていけないのである。 ちなみに現在、有機生産農家の平均年収は120万くらいだという。 現状、専業で生き残っている農家は前述した、「効率」を標榜し、達成した大規模農家である。 あるいはニッチな視点を取り入れながら、なんとか経営をやりくりしている、という感じではないだろうか。 「効率」を標榜し、大量に、画一的に、”命”をもつ植物を扱う事がどれだけ人間や地球の環境に不自然な事であるかは、去年のたった2度の農業体験のなかで私は感じ取ってしまっている。 おそらくこれから、私が農業のフィールドに立ってから直面する問題となる事は想像に難くない。

 安価なものにはきちんと”理由”があるのである。

 強いものが、弱者を切り捨てたり、囲ったりしながら更に富み強大になり、弱いものはますます窮地に追いやられていく。 そんな傾向はここでも垣間見る事ができる。

 わかっていながら、高く買ってあげられない。 お金の無いものは、健康な食生活も送れず、病気になっても思うように医療が受けられず、人知れず苦しみ死んでゆく。 このつらさが、そしてこの世の中の矛盾がわかってもらえるでしょうか。 これが資本(お金)主義というものです。 人の健康や、心の問題など二の次でいいよ、というのがこの資本(お金)主義という世界の仕組み、宿命なのです。 私達の国は資本主義国家です、と宣言した時、それは、私達の国はお金第一主義国家です、と宣言したのと同じ事なのです。

 こんな世界に、私達は暮らしているのです。

 政治に問題がある、社会のシステムにも問題がある、いや、もっと大きな、闇の権力の陰謀もある。 でも、今の世界の諸問題の本質は、実はもっともっと身近なところにあるのではないでしょうか。 あなた と わたし。 両者の間にあるものは何でしょう。 実はそんなところから始まっているような気がします。 誰か具体的な人物、組織、あるいは対象となるシステムなりを悪者にして、それを叩き、消し去れば解決するような問題ではないと私は思います。 もはや対症療法で解決できる問題ではなくなってしまっているような気がします。 

 そんな中で、農業という世界に私は飛び込んでいこうとしている訳です。 農業、いや、農を主軸とした生き方への転換に、今はまだはっきりとはしていないのですが、なんというか、これからの世界の創造という希望を感じているのです。 と、言うか、理屈抜きで、「お前は農業へ行け!」という心の声が、奥深い所でいつもしている訳なのですが。

 

 

 ちょっと脱線してしまいました。 そうそう、この半値で50円に下げられたロメインレタスの話をしていたんですよね。

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 今日の晩はこれを食べたのみ。 虫さんになったかのようだ。

 

 しかし、これがうまかった。 感動した。

 今の心と体にぴったりと はまったようだ。

 よかった。 感動できて。 唯一これが今日の良かった事だ。

 

 きっと人間の体内では、元素転換等もっと高度な事をやってくれているだろうから大丈夫という事に今日はしておこう!

 ありがとう。 ロメインレタス。 塩。 マヨネーズ。 他、すべてのもの達へ。

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 暗い話で御免なさいね。

 ありがとうございました。

 

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 あ~、食べたかった。 ~断食終了のご報告。

 

 こんばんは。 いかがお過ごしですか?

 2月5日から、自然な成り行きの中で始めた断食でしたが、今日2月10日、無事に終える事ができた事を皆様にご報告申し上げます。

 

 いや~、なんというか、とても不思議な体験でした。 こうして食べてしまうと、もう、すでに、何かが違うんですよねぇ。 あっちの世界から戻ってきたというか何というか・・・。 ん~、この感覚、なかなかお伝えしづらいです。

 

 断食中の体調は、私の場合、明らかに激しい波が存在しました。 断食3日目には、前記事にも記させて頂いた様に、信じられないくらい好調な、そして、あらたな精神領域を少し垣間見る事ができ、そのままが維持できるかと想いながら、感謝の中で眠りについた私でしたが、断食4日目の昨日は、一転、朝から不調、不快というよりも、気力そのものがまったく出ず、ぐったりとして起き上がれず、ほとんど眠ってばかりで、起きても、そば茶で水分を取るだけという、まるで2日目と同じ様な状況になってしまいました。 

 

 私はこの頃から、断食中は、口腔内がすっぱくなる事に気付き始めました。 また、胃から発せられていると思われる口臭も出てきて、今思うと、何となくですが、体内に蓄積されていた毒素が、どこからか排出されようとしていたのではないかと感じます。 宿便が出される事を、私は期待していたのですが、残念ながら、今回の断食では、それはありませんでした。 そんな訳で、当然ですが、断食中は、大便は、一度もありませんでした。 トイレへ行ってもお小水のみでした。 ガスは何度か出ましたね。 このあたりは、もう少し断食を続けていれば、何かもっと変化があったかもしれませんね。

 

 若干調子が上向いてきたのが、そろそろ4日目も終えようとしていた夕方頃からでしょうか。 少し起きて、体を動かす事ができるようになってきました。 お風呂に入ったのですが、体を洗おうと立ち上がるのですが、しばらくすると苦しくなって、立っていられなくなるというような状態でした。 まるで、お腹と背中がぴったんこでしたね。 食をあらためる様になって以来、私は、普段から少食なのですが、実際、今回また、かなり痩せたと思います。 役者さんやボクサーなどはこうやって急激に減量するのでしょうかね。

 

 4日目には、水分の採り方にひと工夫しました。 まるで本能がそうさせたかの様でしたが、韃靼そば茶に小さじ一杯程の塩を入れて飲んだのです。 これがまたうまいのなんの! 体に染み渡る様な感じがしました。 塩ってこんなにいろんな味が含まれていて、こんなにもうまいんだ!、と感激しました。 滋味深かったです。 頭の中に虹色が拡がりました(笑)。 人は、水と塩で充分生きてゆけるような気がします。 (ちなみに、私が皆さんにおすすめしたい塩のひとつがコレです ⇒  『真生塩』 グローバルクリーン、もうひとつがコレ ⇒ 『なにかのご塩』 サクセス(喜楽の会)  広告料はもらっておりません。 くれないかなぁ・・・、お願いします(笑)。)

 

 また、4日目の睡眠中、一度目が覚め、むしょうに水分が摂りたくなりました。 私の視界には頂き物のネーブルオレンジが燦燦と輝いていた為、1個だけ包丁で割いて、スプーンでしゃくって、ひと口ひと口確かめるかのように大事に頂きました。 私は普段はみかん派なのですが、この時のネーブルはすこぶるうまかったです。 この日以来、ネーブルが好きになっているかもしれません(笑)。

 

 5日目の朝はヘリの音で目が覚めました。 戦時中じゃあるまいし、嫌な目覚め方でした。 こんな日本の空は嫌いです。 最近ケムトレイルづいてしまっている為、どうもつんざくような航空機やヘリの音がすると、条件反射的に動いてしまうようになってしまっています。 とても嫌な反射ですが、そんなこんなで私は、起きるとすぐさま屋上へ昇ったのです。

 私が昇った頃には、もうすでに、ケムが撒かれていたようで、もはや定番の白けた空が拡がっていました。 最近は、皆の朝の通勤時間帯を狙って、夜間、早朝散布もやられているようです。 彼らは非常に、やり口が”邪”です(怒)。 この記事はケム記事ではないので、ケム話はこのへんにしておきます。

 

 さて、屋上に昇った私は、今日は朝からしっかりと2本の足で立っていました。 空腹感もほぼ感じなくなっています。 立ちくらみも、ふらふらする事もありませんでした。 今日は大丈夫でした。 掃除や洗濯もそつなく、わりと心地よくこなせました。 途中、知り合いの、仲良くさせてもらっている整体の先生が突然訪ねて来てくれて、一緒に屋上で空を見上げて、ひっきりなしに行き来するさまざまな航空機やヘリを指差しながらあれはどうで、これはこうで、と、互いに話をしました。 実際に空を見ながら話をすると、理解が早いようです。 地味ですが、これでまた、ケムに気付く人が一人増えました。 って、またケム話になってしまってるじゃないかーっ(笑)。

 

 3日目ほどのクリアー感はないものの、今日も丸一日冴えていたような気がします。 お陰様で散歩にも出られたのですが、何と言うか、歩いていて、精神的な安定感がありました。 絶対大丈夫、と言ったら良いのでしょうか、人がよく見える、と言ったら良いのでしょうか、一目して、人や物との最適な距離感がつかめるというか、誰とでも和して、仲良くやっていけそうというか・・・、そんな感じでした。 やはり食べている時と何かが違います。

 

 散歩の帰りに、ふと立ち寄った100円ショップでは、陳列されている商品すべてが本当に輝いて見えました。 すべてが有難いというか何と言うか、特に食品などは、加工食品だろうが何であろうが、有難く、ひとつひとつが喜んでいるかのように私の目に飛び込んできました。 それはまるで、ケーキ屋さんで、目を輝かせておいしそうなクリームケーキを眺めている少女のようだったかもしれません。

 

 何となく、ここで決まりました。 今回の断食は、これで止めよう、と。 帰りには、いつもの、ボロ屋で、腰を深く曲げながら、えっちらおっちらと歩きながら野菜を売っているおばあちゃんの八百屋でニラを買いました。 「みがん食わね~が~。」 と、おばあちゃんが言っているので見てみると、なんと一山50円のみかんと、イチゴが一パックたったの100円で今日は売っていたので、有難く頂戴して帰路につきました。

 

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 帰ってからは、待ちに待ったというか、久しぶりの食事をバッチリ楽しみました!

 

 おばあちゃんの八百屋で買ったニラを使って、断食明けのおなかにもやさしい~!、おかゆをつくりました。

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 有難き御いのち、この有難き恵み。 健康に、そしてこうして生かされている事にただただ感謝。   いただきます。

 

 

 うまかった事は、言うまでもありません。 御馳走様でした。  感謝。

 

 

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございました。 お元気で!

 

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 断食3日目、ご報告申し上げます。

 

 こんばんは。 皆さんお元気ですか。

 

 実は私、今、断食中なんです。 2月5日の夜8時に最後の食事をとって以来、韃靼そば茶のみで過ごしています。 約75時間経過しております。 丸3日経過しております。

 

 今回の断食は、特に、奇を衒った訳ではなく、自然な成り行きから始まりました。

 

 2月5日は会社へ行って来た事も含めて、薬局で過酸化水素水を買ったり、ケムトレイルによる健康被害に有効と思われるハーブなどを探しに自然食品店に行ったり、ブラックライトを探しに行ったりして、久しぶりにゆったりと街を散歩できました。 ケムさえ無ければ、言う事なしの一日だったのでしょうが、翌日に、私の体に影響が出てきたようです。 もちろん、ケムが原因と断定はできないのですが・・・。

 

 ジーンと歯周病と思われる痛みが引かず、おまけに頭が痛く、重く、とても起きている事が困難になってしまい、ほぼ、丸一日寝込んでしまいました。 鬱でひどい時等は、丸一日布団で過ごしてしまう事も珍しくはないのですが、さすがに一度は食事を取ります。 今回は、歯周病の痛みがひどく、衰弱しきりで、食事すらする気になれず、本当に丸一日寝倒しました。 

 

 口内炎や歯周病は、体が、もう口から物を入れないでくれ、というサインと観じ、野生動物のように床に伏した事が幸いしてか、一日で歯周病の痛みは無くなりました。 水を含むとキーンと痛い知覚過敏もやわらぎました。

 

 この、丸一日食べなかった事をきっかけに、普段負担ばかりかけている内臓さんを休ませてあげようと言う事で、なんだか断食をやってみたくなったのです。

 

 食物をいつも消化吸収してくれている内臓さんたちは、ほとんど常に休む事なく、働き続けてくれているそうなんです。 普段は次から次へと送り込まれてくる食物の消化でいっぱいいっぱいなんだそうです。

 

 そこで、食べる事を止め、断食をしてあげると、いつもの消化作業を終えた内臓たちが、休息を取る事ができるようになるのです。

 

 さらに断食を続けると、今度は内臓さんたちが、自らメンテナンスモードに切り替わって、日頃こき使われて傷んでしまったり、詰まってしまったり、カスがこびりついている様なところを自然治癒力によって修復し始めるんだそうです。

 

 私は、こういった事を知っていたので、こんなに自然に断食に入れる機会はめったにないなと思い、試みてみたんです。

 

 二日目になる6日の夜から7日の夜までは、空腹感やめまいや吐き気のようなものが襲ってきて、やはり長時間は起きてはいられず、ほとんど横になっている状況でした。 土曜日という事で、宇宙塾に行きたかったのですが、立ちくらみや気絶の危険性があった為、断念しました。

 

 ほとんど寝っぱなしという事で、睡眠リズムは乱れていたのですが、8日の朝からは、とても快調になってきました。 長時間立っていても、たちくらみも、めまいもしなくなりました。 どうやら、ひとつの山を越える事ができたようです。 これなら大丈夫と、今日は散歩にも出かけてみました。

 

 体も軽く、足取りも軽やか。 好調です。 3日間、そば茶を飲むのみで、何も食べていないのに、まったく不思議です。 いったいどこからこのエネルギーは来ているのでしょうか?

 

 また、心も軽く、明るくなっている事をしっかりと感じています。 全体にシルキーな感じがします。 波動的にみて、精妙になっている感じがします。 頭もスッキリしていて、クリアーで、感覚が研ぎ澄まされているような感じがします。 何処からともなく湧いて来る様な、愛と充実感のようなものを感じています。 新たな境地というか、領域というか・・・。 無限とつながっているかのような・・・。 これは、私にとってものすごい発見です! このままずっといけるのではないかという感覚が今、感じられています!

 

 問題は今、若干の空腹感があると言う事です。 いや、実はかなりお腹が空いているのだと思います。 感覚が麻痺しかけているのかもしれません。 散歩の最中もそうだったのですが、おいしそうなニオイがすると、めちゃくちゃ反応してしまいます。

 

 この先にあるやもしれない、さらなる領域へと行ってみるか、食べる喜び、楽しみを精一杯味わうか、今、とても悩んでいます。

 

 とりあえず、もう夜も深まってきたので、今日はこのまま食べずに眠りに就こうと思います。

 

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございます。 おやすみなさい。 Zzz・・・night

 

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 「ある」 か 「ない」 か。 再び・・・

 

 こんにちは! お元気ですか?

 

 厳しい寒さも日に日にやわらぎを感じさせ、なんとなく、春の予感を感じさせる今日この頃、皆様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

 去る1月の26日は、今年の旧正月だったようですね。 私的にはなにか、2月の4日からまたひとつ流れが変ったような、新たなサイクルに入ったかのような、そんな感覚がしています。 何の理屈も根拠もありませんが・・・。 私にとっての新年が、ようやく訪れたような気がします。 ちなみに今年の1月1日の元日には、世間的には新年でしたが、私としてはまったくそのような感覚を覚えるような事は無く、ただただ前日の続きに過ぎず、悶々としていた事が思い出されます。

 そんな2月4日を含んだ今週一週間でしたが、私にとって、いろいろと考えさせられる一週間となりました。

 

 ”「ある」 と 思えばある。 「ない」 と 思えばない。”

 

 は、以前に私が記事として取り上げた題材( 遊んでみませんか?  ある か ない か?  意識 と 存在 )でもあった訳ですが、そんな事を想わされる事が沢山あった一週間でした。

 

 世の中には、本当にいろんな人がいます。 国内にとどまらず、世界に目を転ずれば、さらにいろんな人達がいます。 そして、陸には、さまざまな動物達、昆虫達、植物達、海にも、やはり数えきれぬほどの多種多様の水生物達がいる事でしょう。 未開の土地や深海等には、私達には未だ確認できていない生物もまだまだいるやもしれません。 これらの他に、無機物といわれている鉱物、そして、水や大気など(私は、このすべてが生きている、と思っていますが・・・)、この地球は本当に多くの見えるもの、見えざるもので構成されています。 そして、宇宙には、さらなる拡がりがあることでしょう。 

 さらに続けます。

 

 ”ある人が、見たり聞いたり匂ったり触れたり味わったりして感じ、観じている事は、紛れも無くその人にとっての「真実」であり、他人が、その人の感じ、観じている「真実」を否定する事は決してできない。”

 

 例えば、霊が見える、という人がいます。 実は私には霊は見えないのですが、見える、という人にとって、それはまさに「実在」なのだと思います。 私はそれを否定する事はできませんし、その気もありません。

 しかし、見えない、という私を否定する事もまた、できないのではないかと思うのです。

 と言うのは、ある実在が、ある人の持っている波動(波長)と共鳴、調和しているかどうかによって、見えている世界が思いの他、異なっているのではないか、と私は思うのです。 「眼中に無い。」などという言葉がまさにそれを物語っているのではないでしょうか。

 

 この話をさらに進めます。

 

 例えば、ある光を見て、ある人は、「に見えた。」と言います。 また、ある人は、「に見えた。」と言ったとします。 また、「そんな光など見えない。」と言う人もいたとします。 これはわかりやすく説明する為の極端な例えです。 実際には青緑の色の光を見て、青とするか、緑とするかの違いのような、極々微細な違いだと思います。

 さて、その、「に見えた。」と観じた人にとって、それこそがまさにその人にとっての「真実」というか、「現実」であり、それは侵し難いものであり、また、それに即した人生が彼の目の前に展開されていくものと思うのです。 そして、一方、「に見えた。」と観ずる人には、青に見える人としての現実が目の前にまさに展開されていくのだと思います。 また、「そんな光など見えない。」という人にはやはり、それに即した、また別の人生が展開されていくものだと思うのです。 まあ、これは当たり前の事なのですけれど、この世に、その生から死まで、あなたとまったく同じ道をたどる人はいないと言う事を言いたい訳です。 この事は、動物や昆虫達を引き合いにだすと、もっと解かりやすいと思います。 例えば犬には犬の視点から見たり、聞いたり、匂ったりして、観じている現実があり、その現実に基づいた世界観を持っているでしょう。 あるいは犬は、嗅覚や聴覚が人間で言うところの視覚に近い感覚で観えているのかもしれません。 それはあきらかに人間のそれとは違うものでしょう。 そして犬は、いくら人と近いところにいたとしても、やはり犬の世界観に即した一生になっている訳です。 さらに、虫達は虫達で、それぞれの種が存在する分、それぞれに独特、固有の世界観があるはずです。 そして、その一生もさまざまであろう事は想像に難くありません。

 

 これは、「認知」、「認識」の世界の話であり、それぞれが持つ「意識」と密接なつながりがあるものと私は思うのです。

 

 同じ場所にいながら、UFOを見たという人と、UFOなどなかったという人がいる。 などという話も、今の私にとって、とても興味深い話なのです。 何と言いますか、ある事象について、引き寄せやすい体質というか、適性というか、その様なものは確かにあると思うのです。 「見え過ぎちゃってぇ、困るのぉ~♪」(古っ!)って奴ですかね・・・。

 

 先週の土曜日の1月31日は、宇宙塾の究極コースに出席してきました。 私は思いきって、以前から若干懸念していた”SEヒーリング”についての疑問をぶつけてみたんです。 それは、このSEヒーリングやSE骨格調整、はたまた、人生自体をイメージ通りに好転させうるこのエネルギーが、いったいどこからくるものなのか、霊的なものなのではないかという事。 そして霊的なものだとすれば、霊的貸し借りのような”邪”なものは存在するのか、という事を聞いてみました。

 答えは意外とあっさりとしたものでした。 このSEヒーリングは、霊氣や気功とはまた別のものだという事でした。 現に、SEヒーリングには、霊氣のようなシンボルやマントラといったものは存在しません。 ただ自分でイメージをするのみでOKなんです(そのイメージする、という所が実はなかなか難しいのですが・・・。 そして、このイメージの世界こそ、「ある」 と思えばある、「ない」 と思えばない、の世界なんです。)。 よって、霊的存在に、治療をお願いするものとは、根本的に違うものなのです。 実践する中で、若干気功に似たアプローチもありますが、気功は自分が溜め込んだ氣を使うのに対し、SEヒーリングは宇宙にあまねく存在し、充満している無限のエネルギーを使うもので、差し引きというものはまったくない(疲れない)のです。 つまり、施術者である私は、その無限の宇宙エネルギーと同調し、それを流すと言う事になる訳です。 それはある意味パイプ役という事なので、その点においては霊気に似ています。 無限の宇宙エネルギーについては、量子力学まで話が及びました。 さらに私は、そこに霊的貸し借りのような”邪”なものが入り込む余地はありますか?と聞いてみたのですが、そんなものは無いとの事でした。 それは4次元の世界ではないかな?と言っていて、それは見た事がないからわからないという事でした。  私も正直、いわゆる「霊」は見た事がないので良くわかりません。 が、しかし、目に見えない何らかのエネルギーが存在する事は、現に、実際に肌で感じる事ができます。 私は霊というものは、エネルギー体なのではないかと思っています。 そしてそれは、それを使う人、見る人、受ける人などの「意識」で、如何様にもなるものだと思っています。 それはまさに、「ある」と思えばある、「ない」と思えばない、の世界なのではないでしょうか。 つまり、霊的貸し借りのような”邪”なものが「ある」と思えばある、「ない」と思えば、その人にとって、無いに等しい、という事になると、私は思うのです。

 

 2月2日には、私の部屋に、整体の先生が遊びにきてくれました。 以前の日記で私は、整体を無料で教えてくれる人がいないかなあ・・・、と言っていたのですが、現在、それが実現しています。 私は今、整体も学んでいます。 この先生とは、実は運転手時代からの付き合いで、当初はお金を払って、施術を受けにお店に通っていたのですが、最近では先生の方から訪問し遊びにきてくれて、整体を私に教えてまでくれるようになりました。 これには本当に感謝です。 思わぬ形で思いが実現してしまいました。 思いが現実を引き寄せてしまった好例です。 これも「ある」と思えばある、「ない」と思えば無い、の世界かもしれません。

 

 2月4日は通院日でした。 この精神科の先生とは、もう、通い始めてから一年という事もあり、結構いろいろと話せる間柄になっていました。 そして、この医院では、皮膚科も併設されてると言う事で、今回、問診の流れの中で、ケムトレイル、モルジェロン症候群、そして闇の権力の存在の話を伝えてみました。 

 

 先生は、私が突然突拍子もない話をするので、びっくりしたようです。 また、どうにかして私の話を否定しようとしていました。 ケムトレイルというものが、米軍主導で、ナノ加工された様々な物質を空から散布されていたとして、モルジェロン症候群のようなものがあるのだとすれば、どうして、皆にその症状が出て来ないのか、また、どうして手のひらなどの露出された部分に症状が現れないのかと、すぐに反論され、なかなか理解してはもらえませんでした。 さすがに医師である故、科学的、実践的な根拠に乏しいものは、なかなか受け入れられないんだなと感じました。 私の説明もいまひとつになってしまいました。 問診を終えて、私はちょっとさびしく、悲しい気持ちになりました。 そしてそれは、先生も一緒だったと思います。 また、仮に理解してもらえたとしても、この、ケム話は、やはり、人を悲しくさせる話だな、と思いました。 ただ、今回の問診は何らかのきっかけにはなったかもしれません。 あなたはそんな事を考え、勉強していたのかと、先生は驚いていました。

 

 病院から帰って来て、先生との言葉のやりとりを思い返す中で、私はいくつかの気付きを得ました。 先生の言う、「どうして、皆にその症状が出て来ないのか」、これは実際、大いに興味深い事です。 こんなケム空の下でも、まったく気にもかけず、意識下に無く、症状も出ず、元気にしている人が実際にたくさんいるのです。 それはまるで、こんな現代なのに、鬱にもならず、元気に働いている人が確かにいるという事実となんだかオーバーラップしてきます。 ケムトレイルなど「ない」と思っている人は、その人の意識下に、そんなものは、まるごと無いのであって、そんなものなど無いままに、それはそれで日常の営みが淡々と行われている、という事実がある訳です。 今度また、先生と話をさせてもらえる時には、「それは、こんな時代なのに、何故、すべての人が鬱にならないのか、と言っているようなものですよ。」と、伝えようと思います。

 

 やはり、「ある」 と思えばある、「ない」 と思えばない、なのか・・・。 私は「病」に、引き寄せの法則のようなものを感じています。

 

 その翌日、2月5日には、休職させてもらっている会社に、診断書を提出するのと、現状の報告をしに私は行って来ました。 ここでも私は、やはり、この、治りの悪い皮膚病に悩まされている事を伝えました。 そして、「これから、とんでもない、とんちんかんな事を話し出すかも知れないけれど、そんな事も、まあ、あるかもなあ、くらいで聞いて下さい。」と、前置きさせてもらった上で、ケムトレイルやアメリカという国と日本の話をさせてもらいました。 上司とは付き合いが長い事もあり、それなりの信頼関係もできているので、落ち着いて、かなりの説得力をもってきっちりと伝える事ができたと思います。

 上司は、「そんな事があるのかぁ。 俺達は、お前みたいにそこまで深く物事考えないで普段の生活をして、毎日を生きているからなぁ。」と、言ってくれました。 そして、「そんな事もあるかもしれないが、お前も、現実の生活というものを考えていかなきゃいけないだろ。」、「傷病手当もそろそろ終わるわけだし、その先は生活保護もあるかもしれないが、お前はそういう生き方をしていくのか、それとも社会へ出て前向きに生きていくのか考えなきゃいけないだろう。」と、話してくれました。

 

 これは、とても示唆に富んだ話でした。 そうなんです。 ごくごく一般の方々は、ケムトレイルやお金による支配のカラクリ、仕組みの事など知る暇も余地も無く、日々の暮らしに追われてしまっているのが現状なんだな、と思いました。 ここでも、「ある」 と思えばある、「ない」 と思えばない、なんですよね。 「ない」 と思えば、「ない」 ままに、暮らしてはいけるのです。 かく言う私だって、ケムトレイルには気付いていたものの、1年前までは、生活に追われて、日々の仕事に追われて、あくせく働いていた訳ですから。

 

 非難を恐れず、あえて申し上げさせてもらいますが、私は、今のお金本位になってしまったこの世の中を、目先の景気を回復させようと、そして、私的な利益をあげようとがんばる事が、果たして前向きなのだろうか、と思う事がしょっちゅうあります。 立ち止まり、ひきこもり、一旦じっくりと考えて直してみる事と、どっちがいったい人類として前向きなんだろう、と。

  

 私は鬱という病にかかり、幸いな事に、いったんこの社会から距離を置く事が出来ました。 そして、その間、インターネットや書籍による情報をたくさん得る事ができました。 また、宇宙塾にも参加できたおかげで、しっかりとこの世の仕組みを観ずる事ができるようになりました。

 やはり、世の中とは、つながりながら生きていきたい。 こうして長い間篭ってみて、良く良く、しみじみと感じられる事は、やはり、最終的には人とのふれあいの中で生きていきたい、という事です。 再び社会に出て、地味でも人様の役に立つような、そしてそれをしっかり実感できる生き方をしていきたいと思っています。 お陰様で、今世この世における、新たな私なりの青写真は既に出来ております。

 

 今週末、ふと立ち寄ったいつものタバコ屋の親父さんが言っていた言葉です。

 

 「細かい事気にしないで、気持ち良く吸えばいいんだよ。」

 

 これまた考えさせられました。 真理だと思います。

 

 

 

 「ある」 と思えばある。 「ない」 と思えばない。

 

 そんな事を再び考えさせてもらった一週間でした。

 

 

 

 とは言え、ケムトレイルなど、これからの地球にはあってはならぬ事で、この世からなくなって欲しいと思っている事に、変りはありません。 ケムトレイルについては、これからも”横目”で、しかしながらしっかりと見て、情報発信をしていきたいと思います。 皆さん、最近、空が、世の中がなんだかおかしいな、と思う方は、ぜひ、右のサイドバーにある、「ケムトレイル・気象操作 掲示板」に立ち寄ってみて下さい。 そして、意見等、お寄せ下さい。

 

 長々と最後まで、この私の、訳のわからん世界の話にお付き合い下さった方には、本当に感謝致します。 今日の話題について、ご意見、感想などコメントを頂けるとうれしいです。 目に見えない世界を始めとして、森羅万象について共に語り合えたら本望です。

 

 これからも当ブログでは、私の目に映る「真実」を、伝え続けていきたいと思っています!

 

 

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございました。

 

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 なんだかヘンだ。

 

 こんにちは。 お元気ですか?

 こちらはどうも調子がおかしいです。 実は昨年12月に東京に戻ってきてからずっと調子が悪いんです。 9~12月は、鬱は回復基調にあったのですが、ここのところどうも何事も意欲が湧かず、世の中のほとんどの事を否定したい気持ち、ハッキリ言えば、終わらせてしまいたいような気持ちに覆われてしまっています。 いつも心の奥に妙な胸騒ぎのような感じがあって、それが収まりません。 そうかと思えば、だるさがやってきてぐったりしてしまう。 ぼ~っとしてなかなか物事に集中できず、メランコリー状態が続いています。 そして惰眠を繰り返してしまいます。 療養生活も、また一からやりなおしといった感じです。

 なるべく朝は早めの時間に起きるようにして、共有部分の掃除をしたり、散歩にもなるべく努めて出るようにはしています。 散歩も料理も掃除も、やるとそれなりに楽しいです。 この、楽しいと思えるのが救いだと思っています。 しかし、その先になかなか行けない。 そうこうしてるうちに何もかもがおっくうになってしまう。 否定的な気分に覆われてしまう。 そんな感じでしょうか。

 耳鳴りが結構頻繁に起きています。 多い日で、一日に5回程度でしょうか。 1回5~10秒程度続きます。 以前よりも低めの周波数のものも出てきました。 つい先日は、訳の解からぬ頭痛にまた苛まれてしまいました。 セルフヒーリングをして、ぐっすり寝たら治りました。 頭部の圧迫感は若干残っています。 

 また、原因不明の皮膚病に苛まれています。 もうすぐ一ヶ月ぐらいになります。 非常に治りが悪いです。

 腕や脚部、肩、腹部、そして腰周り。 非常に広範囲です。 なんなんでしょうか。

 

2009年1月2日 入浴後 撮影

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2009年1月15日 撮影

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2009年1月19日 撮影

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2009年1月19日 入浴後 撮影

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 一日数回、痒くてたまらなくなる時があります。

 なにしろ原因がハッキリしないのと、治りが悪いのが不気味です。 風呂に入ると、ヒリヒリして痛いです。 腫れや痛み、痒みが治まり、その後の状態が良くなるので、今日は入浴後、塩をもみ込む荒療治をしました。 もちろん全身ジンジンと半端なく痛みが走り、ゾクゾクと震えも来ましたが、塩が体内の邪気を引き出して、戦ってくれているような気がしました。

 今回の発症は、昨年12月25日くらいからです。 食べ物が悪かったにしては、長引き過ぎです。 18日から23日まで、私は、やむを得ず、肉食をしたり化学物質の入った食事をしていました。 また、仕事も確かにハードでした。 化学肥料も多少吸い込むような事もあったかもしれません。 ですが、それにしては今回の皮膚病は長引きすぎのような気がします。

 今までも、仕事がきつい日が続き、疲れがたまっているのでは? と思われる時などにこのような症状になる事はありました。 内蔵機能が弱り、解毒が追いつかなくなることによるものだと思います。 歯周病というかたちであらわれる事もありました。 ですが、今までは、ここまで広範囲に皮膚病が拡がる事はありませんでした。 また、発症から1週間もあれば、大体、自然と治っていました。

 今回はどうも治りが悪すぎます。

 ケムトレイルによるものなのでしょうか。 モルジェロンでなければ良いのですが・・・。

 何となくですが、ここのところ、腸の機能も弱っている気がします。 ここ1ヶ月、便通が思わしくありません。 すぐに出てみたり、詰まってみたり・・・。 腎臓、肝臓などとともに、大腸の機能も解毒の重要なポイントだと思います。 なんとかしたいところです。 コーヒーによる腸内洗浄をまたやってみようと思います。 食事には気をつけ、糖分はなるべく採らないように気をつけています。 数年前までは毎日飲んでいたアルコールも、今は特別の日以外はやめています。 タバコもそろそろやめ時なのかな・・・。

 

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 今日の空は、一見、何となく合格と思ってしまいがちですが、とんでもありません。

 

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 おそらく、薄く撒かれています。 もしくは前日の残り、ないし、夜中の散布の残りではないかと思われます。 何らかの粒子状のものに、光がが反射して、私達の目に白っぽく映っているのです。 あえて断定はしません。

 今現在、頭部の圧迫感があり、目がしょぼしょぼしています。 あきらかにおかしいです。

 このような状況にでさえ、私は感謝しなければいけないのでしょうか。

 だとするならば、私は、この体に感謝したいです。

 痛みや痒みや出血を伴いながらも、懸命に体内の毒素や異物を外に出して、良くなろうとしてくれているこの体に。 目や耳や頭、そして内臓など、すべてが反応して何かを気付かせようとしてくれている事に。

 

 

 

 

 今、ここに感謝を。

 ここのところ、暗い記事が続いてしまっていますね。 ごめんなさい。

 

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 今日の一言。 ~9月21日

 

 

 

 寄り戻しの鬱がやってきています。

 その一寸の晴れ間に、有難くこれを記します。

 

 

 

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 このさらに深き悩み、迷い、恐れ、孤独は、

 

 きっと来るべきさらに大きな喜び、充実、平和へ向けての布石なんだ。

 

 私は、天(神)にこの身も魂もお預けしたいと思う。

 

 今日も息をしている。 生きている。

 

 感謝をささげたいと思います。

 

 

 

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 何事も、基礎が大切だと言うし・・・。

 

 きっと、今、大きな穴を掘っているようなものなんだろうと思う。

 

 大きな喜びの基礎を築く為に・・・。

 

 

 

 

 力が入らない時もあるサー。

 寝てばかりの時もあるサー。

 閉ざされてる時もあるサー。

 暗い時もあるサー。

 さびしい時もあるサー。

 置いてけぼりの時もあるサー。

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございます。

 

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 ひとりごと。 ~今が最高。

 

 

 当ったり前の事なんだけれど、

 

 休職する事になって、病院行って、

 鬱だと解って、

 こうして療養中だからこそ、

 いろんな事を考えていられるんだよな。

 

 最近はきつくて・・・

 まるで独房にいるみたい。

 来る日も来る日も、

 金銭事情を発端とする禁欲と・・

 これでもか、これでもか、と自問自答の毎日。

 「咳をしても一人・・・。」

 そんな感じの日々なんだ。

 頭がいっぱいいっぱいで、時に気が狂いそうになる。

 まったくいやになっちゃう。

 体は突然言うこと聞かなくなるし・・・。

 でも、

 

 これからの事。 これまでの事。

 こんなにも自分を深く問い詰め、

 これでもか、と言わんばかりに突き詰め、

 内側のわたしと話が出来る時って

 これからの人生の中にあるのかな?

 少なくとも、

 これまでの人生に於いては無かった。

 

 って思ったら、

 

 なんだかラッキーなんじゃないか!

 って思えてきた。

 いやいや、そんな軽いもんじゃなくて、

 

 感謝感謝。

 本当にやたらめったらにあるものではないな・・・。 

 って思うようになってきたんだ。

 

 いやいや、やっぱりラッキーなんだ。

 ついてるよ。 これは! 

 いやあ~、不思議!

 

 そう考えてみると、

 やっぱり、

 今が最高なんだ。 ベストなんだよなあ。

 

 なんなんだろう。 この感じ。

 とっても不思議~!

 

 

 ありがとうございます。

 ありがとうございますだよなあ。

 感謝、感謝。

 

 ちょっと畏怖を感じるくらいなのであります。

 

 

 このあと、自分の身の回りの空間、部屋にあるものひとつひとつすべてに感謝を伝えて歩いて回ったら、心が落ち着き、部屋の照明がだんぜん明るく感じられるようになりました。 まるで、私の念いをお返ししてくれているようです。 ありがとう。

 睡眠薬が効いてきたせいもあるのか、今、とても良い気分です。 あしたもこの調子である事をのぞみます。 皆々様におかれましては、どうか良い夢を・・・。 ありがとうございました。 おやすみなさい・・・。 

 

 今、ここに感謝をconfident

 ありがとうございます!

 

 

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 今日の一言。 ~8月28日

 

 

 

 自分を否定することは、他人を否定すること。

 

 他人を否定することは、自分を否定すること。

 

 

 

 自分を傷つけることは、他人をも傷つけるということ。

 

 他人を傷つけるということは、自分を傷つけるということ。

 

 

 

 

 

 

 

 今日はこんなとこかなhappy01

 

 わかっちゃいるけど、って感じですかね・・・。

 

 

 風鈴、そろそろ終わりですね。

 なんだか、今年はもの悲しい。

 

 

 

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございました。

 

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