珠玉の投稿集

2011年8月22日 (月)

【再掲】 公的肉体の自覚。 ~すべてはお借りしているもの

 

 

 

 前記事に同じく、2008年4月に投稿されたものです。

 そのままにお届けします。

 

  

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おはようございます!

 

 今、撮れたての太陽さんです。 どうでしょう。 波動を感じますか? ”氣” を感じますか?

 氣を放つ写真を撮るには、撮る側の意識が大事だと思っております。 これからもっともっと精進して皆さんに良い”氣”をお送りしていきたいと思っております。 よろしくお願い致します。

 今朝は、おかげ様で比較的好調な朝を迎えることができました。 感謝です。 目覚めてすぐに屋上に上りたくなりました。(おバカは高い所が好き!?) 朝の早い鳥さん達があそび、さえずる中、私は今朝の空気を感じながら、太陽のめぐみを体いっぱいに受ける事ができました。 手振り体操やひねり体操(只今パターンを開発中)、ゆっくり呼吸をしながらポーズを取っての感謝の瞑想、太極拳もどき(まだ、もどきレベルです。)などを楽しみました。 かれこれ2時間くらいやっていたでしょうか。 傍から見たら、完全に変な人でしょう(笑)。 

 しかし、太陽は偉大ですね。 有り難いです。 人や物を選ばず万物にこれだけのエネルギーをお与え下さるんですから・・・。 素晴らしいです。 感謝につきます。

 さて、今日は、心と体のお話。

 皆さんは「霊主体従」という言葉をご存知でしょうか。

 正確に説明するとなると長くなってしまうので、おいおい、少しづつ触れていきたいと思っていますが、簡単に言うと、体に霊が入っている(体主霊従)のではなくて、霊が体を動かしている。 と言う考え方、 あくまでも主体は「霊」である。 まず始めに「霊」ありき、と言う考え方です。 考え方などと言う以前に、こちらの方が真理だと思います。 おかげ様で私もようやくこの言葉が日々の暮らしの中でしっくりとし始めてきました。

 先日、グロー○○ク○ー○の○井さんが主催する、地球を守る市民塾に参加してきました。(○が多くてすみません。知りたい方はメールでどうぞ!) そこで彼は、日々私達が動かし、使っているこの体は自分だけのものではないんです、それは自己中心の考え方であって、この体は、この世での公的使命を果たす為の公的な体なんです。 だから粗末にしてはいけない。 もっと志を大きく持って下さい。 そうすれば自ずと健康になっていきます。 と言う趣旨の話をされました。 私は、この話にピーンときて、気付きをもらい、感銘を受けて以来、これはどういう事なのだろうと、さらに掘り下げて考え続けてきました。

 そういった私の探求の道程でこのふたつの要素が見事に今、合致したのです。

 この世のすべてのものは時空( 神様、とでもしておきましょうか )からお借りしているものなんだ!

 そして、それは、私が日々なにげなく食べたり飲んだり見たり聞いたり考えたり話したり歩いたり走ったり・・・etc. しているこの体でさえも!

 と、いう事なのです。

 だとすれば、それは誠に有り難い事です。 感謝に尽きます・・・。

 ふと、見回せば、私の身の回りにあるものすべては元々地球にあったものばかりです。 物体の組成や形状が変わったというだけの事であります。

 有史以来、人類はいろいろな物を発明し、日々の暮らしが便利で楽になり、先進国と言われている国では、物に依るところの豊かさを謳歌していますが、すべての物体、物質、生きとしいけるものすべては元々誰のものでもなく地球のものです。 そして、それは 天 ( 神とでもしておきましょうか )が与えて下さったものに間違いはないはずです。

 人間は、いとも簡単に、我が物顔で、これは俺のものだ。 などと言ったりします。 そして、地球の上に勝手に線を引き、これは俺の土地だ。 ここは我が国の領土だ。 などと言ったりします。 偉そうに・・・。 挙句の果てには争いごとを起こし、破壊を繰り返しています。 とてつもないダメージを地球に与えています。 これを恩知らずと言わずに何と言うのでしょうか・・・。 そんな我々の姿を見て、地球はあきれているのではないでしょうか。 あきれるだけならまだしも、悲鳴をあげる寸前なのではないでしょうか。 傷つき、泣いているのではないでしょうか。 暴れる寸前なのではないでしょうか。

 この肉体も含めて、すべてのものは霊(私達)がこの世の生を体験する為にいっとき拝借させて頂いている物。 そんな心持ちこそが、これから人類が地球と仲良くやっていく為の智慧なのではないでしょうか。 宇宙へ旅立つ為の叡智なのではないでしょうか。

 

 今日はこの辺で。 失礼致します。

 

 今、ここに感謝を。

 ありがとうございました

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2011年8月21日 (日)

【再掲】 うつやひきこもりがこれから社会的にもっと注目されてくるだろう。

 

 

 

 こんにちは、お元気ですか。

 

 これから皆さんに紹介する記事は、2008年の4月、私がブログを書き始めた頃のものです。 過去記事を見直していてグッとくるものがあったので、再掲したいと思いました。

 

 当時の文章、文体そのままでお届けします。 では、どうぞ、ご覧下さい。

 

 

 

  

 こんばんは、お元気ですか。

 

 こちらは、久しぶりに低調で重く、苦しい一日です。

 でも、私は慣れています。 たぶん大丈夫、いや、大丈夫。

 慣れているとはいえ、やはりキツいですね。

 この重さ、だるさ、だらしなさ、気力の無さ、

 何もかも否定して終わりにしてしまいたくなるような感覚、

 面倒くさい。 何もかも。

 この原因不明の偏頭痛はなんだ?

 何処から来るのだろう。

 自分本来のものではないような氣がします。

 まるで、なにかに取り憑かれているかのようです。

 あるいは、これが神(天)の意思なのか!?

 

 今、途方もないだるさの中で、キーをちびちび叩いています。

 何かを伝えたくて。

 

 ここのところ比較的好調な日が続いていました。

 うつである事を忘れるくらい。

 傷病手当金をもらっている事を歯痒く、申し訳なく思うくらいに。

 早く社会復帰したいという気持ちはどんどん膨らんでいました。

 しかし、その思いとうらはらに、

 自分の中で、今ひとつ行く先が定まらない、

 状況が少しづつしか変わっていっていない事に

 少しいらつきがあったのも事実です。

 作家の五木 寛之さんが、「鬱」 という言葉のもともとの意味を解いて、

 「鬱というのは、エネルギーがあり、それが内部にたまっている状態であって、

 決して悪いことではない。

 たとえば、鬱という言葉を辞典で引くと、

 第一義は草木が盛んに茂るさま、となっている。

 鬱蒼(うっそう)たるというでしょう。むしろ無気力な人は鬱にならない。

 内部に十分なエネルギーがあるのに、ふたをされて、それが発揮できないときに鬱鬱たる気分になるのです。」

 と、述べていますが、まさにそのような感じです。

 

 自然と部屋の掃除がしたくなり、古くいらなくなったものの整理なども始めていました。

 やり始めると、いかに自分の身の回りがほこりだらけになっていたか、

 いかに、いらないもので埋め尽くされていたかに氣がつく事ができました。

 心も一緒だな。 などと思ったりもしていました。

 身動き取れなくなる訳だわ。 これじゃ・・・。 などと思っていました。

 ここでどれだけ捨てられるかで、この先の人生が決まる。 という直感がありました。

 好調そのものでした。 感謝していました。

 

 しかし、ここにきてこのだるさ・・・。

 なんなんだろう?

 昼頃から降り出した雨・・・。

 天候とリンクしているのも不思議なところです。

 最近始めた地球への祈りと関連があるのかもしれませんね・・・。

 

 おまえは やり始めるとがんばって

 何でも突き詰めすぎる。

 あせるな。 今のおまえじゃまだまだだ。

 と、言ってくれているのでしょうか。

 先日行ってきた精神科でも

 同じような事を言われました。

 

 直感ではありますが、

 私はこのブログで何度も言っていますが、

 この うつ は、

 私個人の小さな意思とは無関係の

 大いなる力が働いているような氣がしてなりません。

 一年位前から始まっている耳鳴りや眉間の少し上の部分のうずき、

 ここ数年における私の内面の急激な変化などが

 その思いにさらに拍車をかけています。

 

 そして、これまた直感で申し訳無いのですが、

 今後、こんな私の様な状況の人(精神疾患)がもっと目に見えて増えてきて、

 社会的にクローズアップされる。

 場合によっては、

 社会問題化するような氣がしてなりません。

 国家経済的なことが大きく絡んでくるからです。

 もっとも、その頃には、食 や 地球環境など

 もっといろんな問題が現象化しているでしょう。

 この世のものはすべてつながっています。

 

 そのような時に混乱しないためにも

 今の自分というものを、

 そしてこれからの世の中を

 いつもしっかりと冷静に

 捉えていたいと思います。

 これからお金は紙切れ同然になると思ったほうが良いかもしれません。

 

 そんなときにも常にしっかりと自分の足で立つ

 独立個人の存在。

 愛を確信した存在。

 愛 そのもの。

 利己 から 利他 へ。

 

 

 医療関係者の方々、

 政治家の方々、

 そして、国民の皆様、

 

 これから先、どんな状況に世界がなっても

 ひとつの命を軽んじる事のない世の中にしていきたいものです。

 人としての喜びや幸せは、

 そこにしか存在しません。

 断言できます。

 何度でも言います。

 

 

 人としての喜びや幸せは、

 そこにしか存在しません。

 

 

 

 ちょっと書き疲れました。

 今日はこの辺で。 

 最後までお読み下さり、

 ありがとうございました。

 

 

 今、ここに感謝を

 

 

 なんか、初々しいです(笑)。 まあ、それは置いといて。 まだ、鬱症状がどういうものかわからず戸惑っている様が読み取れます(当初は鬱と診断されていました)。 キツイと感じていたようですね。 また、あせって、早く社会復帰したがっていた様子も窺えます。

 注目したいのが、直感から来る予言めいた事を言っている点、当時からすべてのものがつながっているという事を感じ取っていますね。 「食や地球環境などもっといろんな問題が現象化しているでしょう」の部分は、残念ながら当たってしまいましたね。 まさか、このような形(東電の事故)で訪れるとは思っていませんでしたがね。

 その他、今の私の核となる部分は、当時に、もう出来上がっていた事がわかります。 今も、はっきり言って、言っている事は変わっていませんね(笑)。

 また、このように、過去記事もどんどん取り上げてお届けしていきたいと思っております。 よろしくお願い致します。

 

 

 今、ここに感謝を

 ありがとうございました。

 

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