社会

 「労働」と「お金」 (前記事に続いて)

 

(この記事は、前記事、 「やっぱり掃除は気持ちがいい!」  に続いています。 前記事も併せて読んで頂ければ拙も幸いです。)

 

 わたしはそもそも、「労働」という言葉が嫌いなんです。 「労働」という言葉の裏には、嫌な事を嫌々やっている、という意味合いが暗に含まれている様な気がしてしまうのです(「奉仕」という言葉もあまり好きではないのですが・・・)。 ”働”はまだ良いとして、あまりよろしく感じないのが”労”です。 ”労”はどことなく受動的で、大変な事をしているんだ、という感じがして、人に認められたい、報われたいなど、相手に何か求めているものを感じてしまう。 それはいったい何なのでしょう? 「対価」でしょうか、「報酬」でしょうか、それとも”ねぎらい”でしょうか・・・。

  

 「対価」を求め始めた途端、その人の「労働」は、値踏みの対象になってしまう。 まるで、自分で自分に値段をつけてくれ、と言って、プライスカードを首からぶらさげているかの様です。 人が、はたらく、という本来尊いはずの行動が、この瞬間に打算的で、隷属的で、俗物的なものに成り下がってしまう。 お金を払うのだからやってくれ。 やったのだからお金をくれ。 これがお金の本質、ひとつの側面でしょう。 私はそもそもこの関係が嫌いなんです。 この時点で、同じ人間同士の関係に「売り手」と「買い手」という明確な立場の違いが生まれ始め、さらには、「経営者」と「労働者」という、主従関係、支配構造もそこに誕生する。

 

 振り返ってみると、私が帰農志塾で大地と共に、皆で共にはたらかさせてもらった5日間は、決してその様な「労働」なんかではなかった。 厳しい5日間ではあったが、私は、お金に代えられないたくさんのものを頂いていた様な気がします。 それは、えもいわれぬような、素晴らしき日々でした。

 

 それだけではない。 想い起こせば現在休職中の職場においてもそうです。 現在も含めて16年の日々は、とても語りつくせず、とうてい「お金」で計れるものなどではないでしょう。 日々の「労働」の中に、「奉仕」を見出す事は決して難しい事などではなく、むしろそのほとんどが「奉仕」であろうと思います。 それがあるからこそ、この世の中は何とか今日もこうしてつつがなく廻っているのでしょう。 有難き事です。 時間を切り売りする感覚の強い欧米の人よりも、日本人ならば、とりわけ、その事が良くわかるのではないかと思います。

 

 さて、私が好もうと好むまいと、こうしてお金は流れ始めるのです。 市場という大きな海に、個々に切り取られてしまった「お金」に姿を変えた「労働」がいよいよ放流されて行く・・・。 やがてマネーゲームの対象となって、「対価」として個々に切り刻まれた心が金融市場という更なる大きなダイナミズムの中で、更に大きく売り買いされて行く・・・。

 

 私達はそこに、「心」を見出す事はできるでしょうか。

 

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 確かにお金は便利です。 とんでもなく便利です。 だからこそ、有史以降、さまざまな変遷を重ねながら、今もなお、人と人をつなぐ道具として、信頼され、愛用されてきているのでしょう。

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(日本銀行は株式会社。 そして、千円札のどこにも”日本国”と書いてはありません。)

 しかし、その便利さの影で、私達が犠牲にしているものは何でしょうか。

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(富士山頂から見下ろしているこの”目”は、何を意味しているのでしょうか。)

 現在の「お金」は、2009年になろうとしている今、私達が使う道具として、ふさわしいものなのでしょうか。 ぜひ一度、吟味されてみてほしいと思います。 また、改良の余地はないのでしょうか。

 最後に、「お金」について私が大いに考えさせられた、あるテレビ番組の動画をアップしてくれているページを皆さんに紹介して、この記事を終えたいと思います。 今から10年近く前に、NHK BSで放送された、「おかねの革命~エンデの遺言」というシリーズ作品をzowgenさんという方がアメーバビジョンに6本に小分けしてアップしてくれています。 1動画約30分と少し長いので、お時間のある時に、じっくりとどうぞ。

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 1/6 ~根源からお金を問う~

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 2/6 ~根源からお金を問う~

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 3/6 地域通貨の“希望”

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 4/6 地域通貨の“希望”

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 5/6 銀行の“未来”

 「おかねの革命~エンデの遺言」シリーズ 6/6 銀行の“未来”

 

 まるで有機物の様に、持っている内に老化して、消えて無くなるお金。 つまり、貯蓄していても意味が無いお金。 人間のずるさ、いやらしさを助長しないお金。 自然の摂理と相反しないお金。 なるほどな、と思いました。

 

 お金というものが、そもそも実体など無く(古い時代は別ですが)、人と人との互いの信頼関係、信用によって成り立っているものならば、それを変えていく事は不可能な事ではないはずです。

 

 

 

 

 いつも、愛読下さり、ありがとうございます。

 

 

 今、ここに感謝をsun

 お元気で。

 

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 やっぱり掃除は気持ちがいい!

 

 こんにちは。 お元気ですか?

 

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 彼らは、今日もやってくれています。 一日一善ならぬ一日一ケムでしょうか。 まったくご苦労様なことですね。 そんなに私達を貶めたいのでしょうか。

 まあ、ケム話は今日はこれくらいで。   気を取り直して・・。

 

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 今日は2週間に一度の通院日でした。 病院に行く前にちょっと私用で外出しようと自宅マンションの階段を、1階の共用部分まで降りたところ、落ち葉やほこりやゴミでちらかっていたんです。 まあ、恥ずかしながらいつもの事(!)で、いつもならば、気にしながらもそのまま出かけてしまう(!)のですが、今日はなんだか気になってしまい、自分からすすんで掃き掃除をしました。

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 まあ、以前から、郵便受けのところが、勧誘やその他もろもろのチラシ等でちらかっているな、と思った時などは、人知れず拾って持ち帰り、自宅で捨てたりはしていたのですが、私は、恥ずかしながら、10年ここに住んでいて、一度も共用部分の掃き掃除をした事が無かったのです(!)。

 3階部分に管理人で大家さんのおじいちゃんが住んでいて、このおじいちゃんが大体の事はやってくれていたので、皆、それが当たり前、というか、それに甘えるような感じだったんです。

 そのおじいちゃんも御高齢で、体調を崩されているようで、最近とんと見かけなくなってしまい、どうしてるのかな~、と思ってはいたんです。 おそらく今は、3階部分には住んでおらず、娘さん家族のところで療養しているのかもしれません。 元気なときは、たまには遊びにきなさいよ、なんて、話しかけてくれる、いいおじいちゃんで、私の友人が突然車で訪ねてきたりした時には、車を一晩停めさせてもらったり、マンションの蛍光灯のつけかえを手伝ったり、大きな廃棄物の処分を手伝ったりと、とてもいい付き合いをしていました。

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 まあ、そんなこんなの事情がありつつの今日な訳なんですが、掃除をして綺麗になると、やっぱり気持ちがいいものですね。 また、義務じゃない感じがとてもイイんですね。 これが持ち回りの当番制なんかになると今日のこの気分は味わえないと思うんです。 気付いた時に気付いた人が・・・、という感じがとても良いな、と思うんです。 そして、たまたま目に付き、手の届く所に箒とちりとりがあって・・・、という様なこの感じ。 これがイイんですね。 御大層な場所に、これまた御立派な箒とちりとりがしっかりと御偉い様に管理されていたならば、こうはいかない。 素直で素朴な気持ちも捻じ曲がってしまうというものです。 今日私が言いたかったのはこの事なんです。

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 なんの縛りも無い中で、自然に、自発的に奉仕したい気持ちが出てきた時に、たまたまそれをフォローするものを、何となく人とのつながりの中で見つける事が出来て、それぞれがそれぞれのスタイルで行う事ができる。 そして、その行いが、さりげなく、人知れず、人の役に立っている。 そこ(自発的奉仕)を基準に人と人とがつながり、ひろがっていく・・・。

 

 言わせてください。

 

 

 

 そんな状況を現代に見出すのが、私の

 

 

 浪漫だ~!!!

 

 

 

 干渉するでもなく、かといって放って置く訳でもなく・・・。 そんな、絶妙な距離感。

 決して効率的ではないが、そんな世の中になって欲しい。 求めず、与える事が誰からともなく始まり、連鎖し続ける世の中・・・。

 今の日本は、効率、成果主義で廻り、廻らされ過ぎていると思うんです。 皆が本来持っている、与えたい気持ちが、疲弊してしまっているのではないでしょうか。

 値踏みと駆け引きの中で、はたらく、という本来の意味を見失っているのではないでしょうか。

 人が、はたらく、という事は全て等しく尊い事で、本来、値踏みするような次元のものではないと私は考えています。 「労働に対する対価」、などと言いますが、私は「労働」という言葉も、「対価」という言葉も人間にとって、本来、無用のものであると思っています。

 結局、私の考えはここに落ち着いてしまうのです。 それは、「自給自足を基礎とする、無償奉仕の有機的不規則連鎖社会」 なんです。

 そうです。 夢は、貨幣制度の撤廃です。

 

 

 

 

 ご清聴ありがとうございました。

 

 今、ここに感謝を!

 

 

 

 

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 地域活動支援センターに行ってきました。

 

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 今日は、「相談支援事業・地域活動支援センター、ライフサポートMEW」という所に行って来ました。

 相談支援事業・地域活動支援センターライフサポートMEWは、精神障害を持つ方々が住み慣れた地域で自分らしくのびのびと、そして多くの人と共に暮らせるように応援する場です、との事で、NPOとして活動されているようです。(HPはこちら→http://www5e.biglobe.ne.jp/~sapo-mew/) 

 先日、いつものかかりつけのS医院を受診した際に主治医の先生に、こんな所があるみたいだから行ってみたらどうですか、と勧められたのがきっかけです。 私も日中はいつものお気に入りのI公園の散歩や図書館の他、特に行き場がないのが現状で(お金があれば整体を学びたいのですが・・・、誰か出世払いという事でタダで教えてくれないかな・・・。) 、ひとり部屋に篭っているとまた余計に重くなって自分にとって良くないと思っていたのです。 まあ、一度はのぞいてみるのもいいかなと思い、なんでも経験、という事で、先方に連絡を入れ、行ってみました。

 そこは、とあるマンションの一室で、部屋を仕切る壁が取り払われたような感じになっていて、皆で食事ができるキッチンスペースがあったり、ソファーでくつろげる場所があったり、ちゃぶ台にテレビやビデオでゆったりできる場所があったり、パソコンスペース、ベッドなども置いてあり、その中で、めいめいが好きなように過ごせるようになっていました。 その他浴室、トイレはもちろん、壁を隔てて喫煙スペースもありました。 いくつかの決まり事の他は一切縛りは無く、会員さんは好きな時間にそこを訪れ、自由に過ごし、好きな時間に帰る、と言った感じです。 

 曜日によって、はた織り教室、パソコン教室、英会話教室等、ボランティアの方を招いての各種教室(もちろん無料)が開かれており、好きな講座を予約をして好きな時に受ける事ができます。 また、週2日、有料(380円)ではありますが、栄養士さんによる夕食サービスもあり、しっかりとご飯を頂く事ができます。 また、希望者みんなで役割分担をしてのカレーの日なんかもあります。

 事務作業などや食事の支度などをしながら、常に5人のサポーターの方がそこにはおり、カウンセリング等、相談したい事があれば、別室にて、いつでも可能になっていました。 茶話会やミーティング、学習討論会、サポーター養成講座等から、自発的かつ自治的な基礎で運営がなされているようです。 

 

 と、まあ、初日でわかった事はここまで。 初日という事で、最初は身の置き場に少し困りましたが、テレビのところでくつろいでいたら、二人の方が声を掛けてきてくれました。 二人とも20代で、私より若かったのですが、どちらも私より重度と思われ、それぞれ症状が違っていて、うつの他に強迫神経症など複数の症状を患っている事など話してくれました。 現在飲んでいる薬の話や仕事の話、休職の期間、復帰の事などを話しました。 一人の方が、この病をわかっている人と話ができるのがとてもいいと、神経症の体を震わせながら心の底から語ってくれました。 途中から横になり始め、ひとしきり話が終わると最後には3人とも閉館の時間の19時30分まで、たまに一言二言、言葉を交わしたか交わさないかという感じで、横になっていました。

 

 また行くかどうか、会員になるか、はたまたサポーターになるかどうかはまだわかりませんが、こういうスペース、”場”があるということはとても良い事だな、と思いました。

 

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 本棚の本があまり充実してなかったので、こんな本でも置いてこようかな・・・。

 

 

 

 今、ここに感謝を。

 ありがとうございました。

 

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 どのような死を迎えたいですか?

 

 こんばんは、お元気ですか?

 ちょっと重いタイトルだったでしょうか。 それとも、いや、ありがちだな、と思われたでしょうか。 

 上記は、私が数年前から漠然と考えてきたテーマであり、鬱というテーマと共に、このブログのもうひとつのテーマでもあります。

 「どう死にたいか?」を自分に問う事は、実は、「どう生きたいか?」を自分に問う事とまったく同義だと私は思います。

 ここ最近、私はこうした事ばかり考えています。  

 皆さん既にご存知の事と思いますが、リーマンブラザーズが破綻致しました。 報道されませんがEUも結構危ないようです。 サブプライムローンのバブル崩壊に端を発した嘘で塗り固められたお金の仕組みがいよいよ白日の下に晒され、崩壊しようとしています。

 虚業(マネーゲーム)に踊り踊らされていた金融資本主義というものの崩壊の序曲が始まったのかもしれません。 ”かも”としたのは、意味があります。 この先、いろいろな影響が考えられますが、この崩壊も、実は想定済みの事で、陰のシナリオライターの遠大なる筋書き通りに粛々と進められている事にすぎないかもしれないからです。 このような形で現存する金融機関をどんどん合併、吸収、統合、巨大化させていき、やがては、あの忌まわしいNWO(ニュー・ワールド・オーダー)なる、闇の権力による世界統一政府、世界人間牧場を完成させるプロセスのひとつかもしれないからです。 人間の体内にチップを埋め込んで・・・、というアレです。

 あるいは、今までの負債をすべてチャラにして、新しい通貨、AMEROがいよいよ導入されるかもしれません。

 いずれにせよ、このような事は、横目でしっかりと認識しつつも、そんな事には囚われない、豊かで、大きな人生を歩みたいものです。 なぜなら、それは、宇宙の大きな流れの中で、私という魂がこの世に生まれ、どう生きたいか、という事とはまったく関係がないからです! 人としてこの地球、この世に生まれた意味を問い、もっと深い所から自分のこれからの人生を考えた時に、金融資本主義、そしてお金がどうのこうのなどという話はちっぽけなものです。 あくまでそれは人生に付随するものであって、大元ではありません。 人はいずれ死にます。 魂は永遠ですが。 どうやらお金はあの世には自分では持って逝けないようです。 自分の人生、もっと大きく捉えたいものです。

 もう一度言います。 お金は個人の人生、そして組織、システムに付随するもの、です。 お金自体が悪いのではありません。 その使い方、廻し方が、今、個々人、組織、システム単位で問われているのだと思います。

 こうした既存のシステムの崩壊は、人間が人間らしく、心豊かに生きる事に気付く事となるまたとないチャンスとなるのではないでしょうか。 これからが、私達一般平民が本当の意味で覚醒し、活躍していく大事な時なのではないでしょうか。

 

 私は何をしに、生まれてきたのだろう・・・。 どのような死を迎えたいのか・・・。

 

 そればかりを考えている、今日この頃です。

 

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 オルターネイティブに突き抜ける!!

 

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 世の中の本当の仕組み。 情報拡散を望む

 

 こんばんは、お元気ですか。 9月も半ばに入り、だいぶ涼しくなって、秋めいて参りました。 ここ東京でも、夜になると、かろうじてではありますが鈴虫の音が自宅の部屋まで届いてきております。 あの、どう考えても変なゲリラ豪雨もおさまりつつあります。 やれやれ。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 さて、今日は、皆さんに少しでもこの世の中の真実を知って頂きたい、という事で、YOU TUBEにとても良い動画のひとつを見つけましたので、情報拡散の意味をこめて、貼り付けしたいと思います。 約10分位の動画が前編・後編あわせて7本あります。 長いので、ザッピング感覚で、好きなところから入られても良いと思います。 では、どうぞ。

 

 「ベンジャミン・フルフォード 闇の権力を語る」 

 
9.11事件について 
 
 
 お金による人類の管理について
 
 

Cocolog_oekaki_2008_09_16_17_43 つまりは、ほんの少数の人たち(古代から続く王族・貴族)に地球の67億の人類が管理されている訳なのだ! それは、お金という手段によってだ! 高利貸しの仕組みを考え出し、お金の世界を今日まで握ってコントロールしているのが、いわゆるユダヤのシオニストと呼ばれる人達なのだ。(*ユダヤ人全てではない。) 彼らは我々の事をゴイム(家畜)と呼び、きっちりと差別をしている。(ユダヤ・プロトコル)

 

戦争は儲かる。
 
二度の世界大戦は仕組まれたものなのだ。
 
いや、実はそれに限った事ではない。
 
対立する両者を恣意的に生み出し、巧妙に操り、その双方に莫大なお金を貸す。
 
どっちに転んでも儲かる仕組みになっている訳なんだ。
 
そんな事を企んでいる人たちがいるのだ!
 
 
この世の中から貧困を無くす為に、日本の600兆円のお金を有効に使いましょう。
 
言われるがままに外資にお金を流すのはやめよう!
われわれの納めた税金、日本のお金は日本の意思で使おう!
 
日本だからできることがある、とベンジャミンさんは訴えています。
   
巧妙にあちら側にお金を流しているのはいったい誰なのか。
 
売国奴を選挙で当選させるのはもうやめよう! 
 
 
一部のお金持ちがさらにお金持ちになる仕組みが出来上がっている。
 
マスコミ(情報)はそれらにしっかり管理されてしまっている。
 
 日本は植民地。
 
自民党は元々、いったいどんな政党なの?
 
田中角栄元首相失脚の訳。
 
ある歴代首相の怪死。
 
有色人種は奴隷と思っている人たちがいるのだ。
 
 
私達は正しい情報を知る事から始めていこう。
 
イラクでは120万の民間人がアメリカ軍に殺されている。
 
今でも、ホロコーストは行われている。 
 
4800万人の餓死者、環境破壊・・・
 
なんとしても止めなければならない。
 
戦争ではなく、平和のために日本のお金を使いましょう。
  
 
 
 

 真実を伝え、訴えるベンジャミンさんの瞳からは、涙がこぼれている。

 

 今、この時代、人類は大事な岐路に立っているのだと思う。

 

 スピリチュアルな覚醒ももちろん大事だが、それを地上世界に降ろし、実現させて行く事はもっと大事な事だと私は思うんです。

  

 まずは、知ることから始めよう・・・。 ほんとうの事。

 

 

 

 今、ここに感謝を。

 ありがとうございました。

 

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 最適な労働時間とは。(妄想通信)

 

 みんな~。

 

 人間に最適な労働時間は

 

 3時間+個人のやる気だ!

 

 そうは思わないか~!!

 

 

 

 

 そこでバランスが取れるように、私たちの手で、世の中を変えていきませんか?

 経済、経済、経済・・・。

 

 今日も一日、お疲れ様でしたsun

 

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 たまには、息抜きもね・・・。

 

 

 半分冗談、半分本気(笑)! 

 妄想通信でした。

 

 今、ここに感謝をsun

 ありがとうございました。

 

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 河野 太郎さんによる原燃の解かり易い解説。

 

 こんにちは! みなさんお元気ですかsun

 

 先日、宇○塾の同期の女性の方から、ある小冊子を頂いた。 「ひろしまから 平和の祈りを世界へ」 というものだ。 1930年(昭和5年)、広島に生まれた 川野 政次 さん が、つい最近まで語りたがらなかった原爆体験を、のちの人生をも含めて、ありあり、いきいきと語り、綴られているものだ。 

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 参考HP  サン・グリーン  

       ココ  ↑↑  から小冊子が発行されています(500円)。 ぜひ、小冊子の一読をお勧めします。

 

 一言。 感動した。 私が、今、この記事を書いているのも、これにインスパイアされたからだ! 

 川野さんは、御自身の人生体験の中で、被害者意識を克服され、もっと違う視点から、もっと大きな、全人類的な視点から、平和の尊さ、素晴らしさを私達に伝え、教えてくれています。 本当に感動、感謝に尽きない。

 これほど、心の内側から愛する気持ちが自然と湧き上がってくるような爽快な読み物にはなかなか出会えないものだ。 今、私の心は幸せだ。 真に平和だ。 筆舌し難い川野さんの被爆体験は平和ボケした私の心を愛で包み、覚醒させてくれたのだ・・・。

 

 同時に、原子力による放射性廃棄物に対する私の理解を深めようとする原動力にもなった。

 ストップ再処理工場・意見広告の会

 http://www.iken-k.com/iken-k/index.html

 

 ストップ ロッカショJP

 http://stop-rokkasho.jp/index.php

 六ヶ所村のある青森県は、私の故郷だ。

 

 原子力資料情報室 (CNIC)

 http://cnic.jp/modules/rokkasho/

 

 そして、ここに衆議院議員の 河野 太郎 さんが、とてもわかりやすく、わが国の原燃行政を解説してくれている動画のあるWEBページをみなさんに紹介しておきたいと思います。 プルサーマル等、よくわからない事が、彼が解説して下さっているおかげで、よくわかる様になりました。 感謝です。 ぜひ、御視聴を。

 尚、私は 河野 太郎 さん の活動を全面的に支持しているものでは無い事をここに記しておきます。

 政治家動画<2008年03月13日:エネルギー政策:再処理への疑問>

 http://www.senkyo.janjan.jp/movie/0000/00000385.html

 

 感じるところは、人それぞれとは思いますが、エネルギー政策にまつわる、利権のニオイが私にはプンプンとして参りました。 良くも悪くも、私達一般市民がこれを支え、享受しているのだ・・・。

 ぜひ、一度、ご覧になってみて下さい。

 

 

 

 今、ここに感謝を。

 ありがとうございました。

 

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 心眼の大切さ。(地震、気象、その他)

 

 こんにちは! いかがお過ごしですか?

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 昨日の日の出前の空模様です。

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 ほんとに空は興味深いです。 地球の大気と水と光、そこに磁気や電気が絡みつき織り成しあう事によって様々な絵をいつも私達に見せてくれます。 しかも無料で・・・。 地球の、宇宙の偉大さを感じずにはいられません。 時には信じ難い色彩を放つ事もありますね。

 http://farm3.static.flickr.com/2176/2497590008_895a63b3b7_o.jpg

 http://imepita.jp/20080727/688480

 上のリンク二つの画像は、圧巻ですね。 私達人類は、そこから何かを感じ取る感覚だけは失いたくないものですね。 現在の地球の科学では説明しきれていない、もしくは無理やりこじつけられている様な事象が確実に存在しています。 かつての天動説、地動説の様に・・・。 事象をありのままに認め、受け入れ、実証していく事こそが本来の科学的な姿勢というものではないでしょうか。 利権がからむ事により、真実が捻じ曲げられて伝えられている様な事があるのだとするならば、それはとても残念な事であります。

 こんな記事も見つけました。

 この夏“殺人竜巻”が列島を襲う! - 速報 ニュース:@nifty.

 記事を書いた記者様には大変申し訳ないのですが、事実が伝えられているという事については意義を感じますが、私達はこのような記事にいちいち動揺しないように、普段から心眼を鍛えておく必要があると思う。 人々の思念が環境にまで影響を及ぼす、という事に気付いている感性は素晴らしく、私もとても共感できるのだが、この異常気象の報道に煽られ、慌てふためいてはいけない。 そして、それは福田さんひとりをスケープゴートにすれば済むという話では決して無いはずだ。 この記者様にその意図があったかどうかは定かではないが(まあ、軽い気持ちだったのでしょう)、こういった形で世論を誘導する、といった手法は日常茶飯に行われている事なのです。 それをいかに自分の目で見極めるのか、がとても大事だと思うのです。 (記者様へ、わかりやすいので採り上げさせて頂きました。 感謝してます。 ありがとうございます。)

 

 そんな中で、こんな画像を見つけてしまった。

 

 

 

 気象庁のドップラーレーダーの画像をつなげて動画にしたものだ。

 7月23日午後6時~6時30分にかけての関東地区の円形は何だろう?

 

 ドップラーレーダーとは。 (気象庁HPへリンク)

 http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/radar/kaisetsu.html

 

 単なるレーダーの信号エラーだろうか?

 ここでの言及は控えておくが、仮にエラーでなかった場合、この円形状の降雨ないし電磁的反応をどう捉えたら良いのだろう?

 何か人為的な力が天候に働いた。 と考えるのが妥当ではないか。

 こんなときに先ほどお伝えした心眼が非常に大事になってくるのである。

 

 人為的な操作などできるものか! という方。  どうぞお調べ下さい。

 なぜ、操作しなければならないのか?  調べましょう。 

 キーワードは HAARP です。

 

 この世の中は私達が思っているよりも、かなり広く、深く、奇妙奇天烈な世の中である、と私は思っています。

 そして、少しでも多くの人が、この世の真の仕組み、支配構造に気付き、そこから覚醒する事を望んでいます。

 「何となく ・・・ な感じがするんだよなぁ。」 という感覚は、現代においても、いや、現代だからこそもっと大事にされても良いのではないか、と思うのです。

 

 

 今、ここに感謝を。

 ありがとうございました。

 

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 最近の殺傷事件について。

 

 まずは、これを見て欲しい。 先日起こったバスジャック事件の記事だ。

 http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/jcast-23710/1.htm (J-CASTニュース より)

 こちらでは、さらに深く追っている。

 http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/aera-20080724-01/1.htm (AERA より)

 秋葉原の連続殺傷事件の犯人とされている人物(一部では、犯人とされている人物の逮捕時の着衣に返り血が無い事から真犯人は別にいて、実は国家権力やマスコミも抱え込んでの組織的な犯罪ではないか、という話もあるが・・・。)の背景を報道から探ってみていても感じる事なのだが、教育も含め、新しい価値観に基づきながら、今とは全く違った社会のシステムを一から創り直していく時が来ているのではないかと思うのです。

 競争社会の裏側でゆがんで、いたずらに肥大化してしまったプライドがこの二者に共通して感じられるのは私だけでしょうか。 そしてまた、相手のことを考える、という人間としての基本的な部分が欠落してしまっている、という事を忘れてはいけない。

 両親のうちのどちらかが、いわゆる教育熱心であった事も共通している。 それはヒステリックな、という意味においてだ。 教育熱心にももっといろいろなかたちがあっていいはずだが・・・。 報道を見た限りでは、ただ学校での成績の数字を上げる事のみに重点が置かれていたかのような印象を受ける。 ここから私は親御さん自身の人生について想いをめぐらせてみるのである。 実は親御さん自身の日常が、精神的にきつく、さびしいものだったのではなかろうか・・・。 やはり数字に追われていたのではなかろうか? 社会においては営業実績、業務効率等、そして家庭内では生活費、養育費など。 世間体やステータスを追い求め、それに追われていた家庭環境がなんとなく窺えるのである。 そこに他の価値観が入り込む風通しの良さみたいなもの、心のゆとりのようなものがまるで感じられないのである。

 特に秋葉原での事件の犯人とされている人物は私と同郷であり、同じ高校の出身であるだけに感じていたところは多い。 多すぎて今まで私は意見を控えていたぐらいである。 県下有数の進学校を出てみても、結局心の居場所が無かったのではないか。 社会の底辺で一日が長く、きつい単純作業の労働が続けば、どうしても心が荒みがちになる。 

 実は私も派遣で、貨物自動車の車体の大手の製造工場に勤めていた事がある。 私が二十歳そこそこだった頃の話だ。 その頃は季節労働工と呼ばれていたと思う。 半年契約で、継続が可能だった。

 一日12時間、熱い火花が散るスポット溶接の大きなロボットの機械のラインに、保護のヘルメットをかぶり、火花が目に入らないようにゴーグルのような眼鏡を掛けて、分厚い軍手を手にはめて立ち、故障や不具合時以外は止め処無く流れてくるキャビンに、ボディーサイドの部品や重いドアー部分を取り付ける作業が延々と続くのである。 機械には感情が無いからこっちの事情がどうであろうが容赦が無い。 次から次へと鉄のかたまりであるキャビンは流れてくる。 ペース配分の呼吸など無いのである。 機械を動かしているのは人間なはずなのだが・・・。 当時は景気が良かったから、一日あたりの生産台数も多かったと思う。 昼勤で400台、夜勤で100台。 輸出分にも対応していたのだろう。

 これが毎日続いた。 機械を止めてしまったらみんなに迷惑がかかる。 機械に私を合わせていくのが仕事だった。 ずっと立ちっぱなしの作業だったため、自分の足が慣れて出来上がってくるまでは、一日の作業が終わった頃には、足が腫れあがってしまって、痛くて、立っていられなくなった事を覚えている。 若かったから、何とか勤まったのだと思う。 そして今思うと、若くて、何も知らなかったから、きついポジションに配属されたのだとも思う。

 いくらそこでがんばろうが、社員への途用の道は無かったのは秋葉原の事件の容疑者と同様だ。 一年かそこそこで何かクリエイティブな提案などする余地など無いのは当然だ。 ただ、職場の私の周囲の人達は、みな屈強で、やさしい男達に恵まれた。 契約最後の日には、みんなが暖かく苦労をねぎらってくれ、力強く送り出してくれた事を覚えている。 伊原さん、山口さん、平本のおっちゃん、菅原班長さん。 持田君。 今でも名前を覚えている・・・。 ずるく、つまらない人間もいたが、私とは持ち場が違っていた。

 良く働いたので、いつもの社員食堂での食事はひとりで質素なものではあったが美味かった。 当時の私は田舎から出てきたてで、恥ずかしがりで、なおかつプライドは高く、つっぱらかっていた。 毎日が一生懸命でいっぱいいっぱいだった。 昼間の休憩時間などには、ひとりでたそがれて、ブルースハープを吹く真似事の様な事をよくやっていたものだった。 そうでもしてごまかしていないと、小さく、弱い自分が壊れてしまいそうだったからだ。 この後、私は、プライドという鎧をどんどん厚く、硬く、巧妙なものにしていくのだった。

 東京は好きになれなかった。 街ですれ違う人みんなが華やかで明るく、恵まれているように見えていた。 なぜ楽しく生きていられるのか私にはわからなかった。 当然、いわゆる成功者を妬むような気持ちもどこかにあったような気がする。 それは、大人たちやマスコミが作り上げたイメージに過ぎないなどとは、当時の私には思いつきもしなかったのである。 明るくしていないと置いてけぼりを喰らっているかのようで、怖くて仕方が無かったのである。

 書き出したら止まらなくなってしまった。 失礼しました。 こんな過去があるから、今回の事件に関しては、それなりに思うところがあるのだ。 鎧を着けた生き方は、その後の私の鬱とも関連していると、今では冷静に自己分析をする事ができる。 そういう意味では、私の場合は自虐的な方向に出たのだと思う。

 

 さて、話を元に戻して、別の視点から事件を捉え、考えてみたいと思う。

 精神世界的な分類をすれば、彼らは世代的に言えば、いわゆる「インディゴ」にあたると思われる。 当てはまらない部分もあるが、おおかた合致している。 何を隠そう、この私も早生まれの「インディゴ」だ。 もしくはインディゴを導くライトワーカーだと思っている。 まあ、分類などどうでも良いのだが、インディゴの特徴を下記に述べて置く。

1・インディゴは尊厳を漂わせながらこの世に生まれてくる(多くの場合、生まれた後もそのように振舞う。)

2・彼らには「自分は存在するべくして存在している」という気持ちがあり、他人にそれを理解されないと、気が動転してしまう。

3・自己評価には重きをおかない。彼らはよく親に「自分は誰なのか」を語る。

4・絶対的な(説明や選択の余地を与えない)権威を受け入れない。

5・特定のことをあっさりと否定する。例えば並んで待つ事は、彼らには難しい。

6・創造的思考を必要としない儀式的なシステムには、欲求不満を募らせる。

7・家庭でも学校でも、物事のよりよいやり方を見つけ出すので、
「システム・バスター」(いかなるシステムにも従わないもの)のように思われてしまう。

8・インディゴの仲間と一緒にいるとき以外は、非社交的であるようだ。
自分に似たような意識のものが周囲に誰もいないと、しばしば内向的になり、
誰からも理解してもらえないと感じる。そういう子供達にとって、学校生活は非常に難しくなる。

9・罪悪感を持たせるようなしつけ方、例えば「そんなことをして、
お父さんが帰ってきたら怒られるわよ」といったような説教をしても効果がない。

10・自分が必要とすることは臆することなく伝える。

    

 彼らには、魂の居場所がなかったのだ。 その一言に尽きる。 愛が足りないのだ。 私はそれを周囲や社会に対して非難し、述べているのではない。 もちろん事件の首謀者である彼ら自身の愛が足りなかったのだと私は言っているのだ。 これだけは間違えないで欲しい。 そして、そういう人を生み出してしまった社会や周囲について私達は考え直さなければならないと言っているのだ。 いや、もはや考えている段階ではないのかもしれない。 今すぐ身近なところから新たなベクトルに心もちや行動を切り替えるべきだろう。

 人を押しのけてまで勝るのがそんなに大事な事か? そのほかの価値観を、なぜ私達大人が提示できないでいるのか! 本当の”勝ち”とはどういう事なのか? よく、深く、考えて欲しい。

 毎日ボロボロになるまで働いて、満足に子供も育てていけない世の中ってどうなんだろう? 金持ちの子供しか満足な教育を受けられない世の中ってどうなんだろう? 小○、○中という亡国の政権が発足して以来、格差社会は加速している。

 そして、満足な教育とやらも、物事の本質を捉えきれていない、魂の法則にそぐわない非常に危ういものなのではないか! 点取り競争のランク付けになんの意味があるのだろうか!

 政治や社会、教育の問題点を言及するのはこれくらいにしておきます。 最後に一言、魂の観点からの気付きの言葉をここに置いておきます。 普遍的な事です。

 あなたが私を悪者として、侮蔑し、忌み嫌い、粗末に、かつぞんざいに扱うのならば、私は為す術を失い、その様に振舞ってしまうかもしれない。 そして、もしあなたが私を善き者として認め、無条件に受け入れ、愛し、大切に思ってくれるのならば、私は、私が仮にどんな悪者であったとしてもあなたに対し最善を尽くさざるを得ないだろう。

 これは、甘えだろうか・・・。

 

 今、ここに感謝を。

 ありがとうございました。

 

         --- ◆◆◆ ----- ◆◆◆ ---

 

 「フッ、甘いな(笑)」

 

 記事を書き終えてシャワーを浴びている間中、鳴り止まなかった魂の声があったので、15時20分、追記します。 本当に最後の一言。

 

 「いかなる状況にあっても、私は私の魂に誠実にあり続けます。」

 

 「そうだ!その調子だぞ! うれしいぞ!」

 「まあ、あまり肩肘張らずにいきなさいよ・・・。」

 私の心の中には、何人かの魂が住み着いているようです。

 

 

 被害に遭われて亡くなった方々の魂の冥福をお祈り致します。

 

 乱文、乱筆、失礼致しました。

 

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