リハビリ日記。 (感動)
今日はほぼ一日沈んだ一日になってしまった。
いったいなんなんだろう。
訳も無く、何の前触れも無くそれはやってくる。
こんな時だ。
私は私が病人である事を自覚せざるを得なくなるのは。
ポジティブ思考などと良く言うが、それが出来るのならば何の苦労もないのだ。 それができない何かがそこにはあるのだ。
理屈じゃない世界、目に見えない世界の大きな大きな仕組みがきっとそこには働いている。 間違いなく。 体感からそう思うのだ。 無理なものは無理なのだ。
深層意識の制御というものはほとんど無理なのではなかろうか。 おそらく、何らかの法則があるに違いない。 私達は、生きているのではなく、生かされている。 暗いなら暗いなりに、つらいなら、つらいなりに、そこから何かを学びなさいと、日々、手を変え、品を変え、宿題を出されているかのような気がします。 最近とみにその思いが強くなっています。
今日も危なかった。
5時前に一度目が覚め、そのまま寝て、浅い眠りを繰り返した。
9時に目を覚まし、一度起き上がったが、不安がやって来る。
その不安から逃れるかのように、しばらくしてまた横になってしまう。
正午になってようやく外出出来た。
また何者かに突き動かされるような感じだった。
寝ちゃいけない、寝てちゃいけない、と。
私は、これが私を守護してくれているもののお陰ではないか、と思っています。
感謝しています。
しかし何故こんなにもだるいのだろうか。
何故こんなにも元気が出ないのだろうか。
何もやる気が起きないのだろうか。
こんなにも不安なのだろうか。
今日は外に出て散歩をしていても終始体が鉛のように重かった。
何なのか。
やたらと体が重い。 公園一周も出来ない。
何もかもがどうでもよくなって来る。
何で私はこんな人間になってしまったのだろう。
そんな思いにやられてしまう。
スクワッドをしても、腹筋をやっても、腕立て、背筋をやってもダメ。
ここ最近の反動が出ているのだろうか。
そう思いたい。
そうすれば、
こんな日もあるんだ、
明日はきっと今日よりはマシだろうと希望が持てるからだ。
夢が遠のく思いがする。
こんなことでは到底やってはいけないだろうと思ってしまうからだ。
でも、あきらめたくない。
今日は外食をしてしまった。 770円。 痛い出費だ。
孤独も手伝って、今日は自立支援センターにSOSの電話をいれてしまった。
とにかく話を聞いてもらいたかった。
一人黙っていると、頭がおかしくなってしまう。
ご飯は炊けてあったが、晩御飯はつくる気力が無かった。
ロメインレタスをちぎって塩をかけて、さらにマヨネーズをかけて食べた。
面倒だけど、これくらいは出来た。
塩をかけたのは、塩が体と心を引き締めてくれるような直感がしたからだ。 体が欲していたのだ。
マヨネーズも体の事を考えると本当はこだわりたいのだが、お金の事を考えると贅沢はできない。 味の素のもので我慢している。 と言ったらこのマヨネーズに失礼だな。 安心・安全の松田のマヨネーズタイプは500円近い価格で、常食するものとしては高価でなかなか手が出せない。
健康にお金がかかる世の中はおかしいと思う。
お金持ちは安心安全な食材を自然食品店などで購入する事が容易にできるが、お金の無い人は、普通のスーパーで農薬のかかった、大量生産された、見栄えは良いが、元気の無い画一化された食材を買うしかないわけだ。 私などはさらにそこから閉店間際で半値に下げられるのを待って購入したりもしているのだ。
基本の調味料や加工食品にしてもそうだ。 スーパーに大量に並ぶ安価なものは、その製造工程において、必ず不自然な化学処理がなされている。 おかげで保存も効くし、便利だ。 そして化学調味料は安価に手軽に大量に、旨味を”加味”する事に成功している。 しかし、これはにせものの旨味だ。 これにみんなだまされてしまっている。 本来旨味とは”引き出す”ものだ。 本来、元気に育った野菜はそのまま食べても旨いものなのだ。 味噌や醤油などの発酵食品はじっくりと時間をかけてこそ大豆本来の旨味が”引き出される”のだ。 HAARPや電磁兵器による終末の演出を危惧する以前に、闇の世界政府がどうのこうのと言う以前に、そして日本の政治を語る以前に私達はこの、食の世界の”演出”にだまされてしまっているのである! 微量に体内に蓄積されてゆく、真の健康を阻害するであろう要因は、なかなか数値で、そして一つのものさしのみで推し量りきれるものではないだろう。
なぜ不自然に保存をきかせるか。 それは経済的に効率が良い、究極ただそれだけの理由だ。 盲目的な利便性の追求だ。 化学調味料による旨味の加味も同様だ。 私達は加工食品の原材料欄にこれらの表示のないものを探し出す事は、今や非常に困難になってしまっている。
経済的効率、人的省力、人的効率化、大量生産、大量消費を我々が標榜したとき、農薬や化学肥料、加工食品における添加物の使用は、おおいにそれに貢献してきたのです。
また、生産者の立場からすれば、今の生産物の値段では生活がままならないのが現状のようだ。 今、日本に兼業農家が多いのは、そうせざるを得なかったからである。 国の行ってきた農業に対する政策や現在の農協という組織、そして流通システムに目を向け、見直してみる事はもちろん大切だが、野菜や穀物は本来もっと高く買ってあげなければ農家の方々は専業ではやっていけないのである。 ちなみに現在、有機生産農家の平均年収は120万くらいだという。 現状、専業で生き残っている農家は前述した、「効率」を標榜し、達成した大規模農家である。 あるいはニッチな視点を取り入れながら、なんとか経営をやりくりしている、という感じではないだろうか。 「効率」を標榜し、大量に、画一的に、”命”をもつ植物を扱う事がどれだけ人間や地球の環境に不自然な事であるかは、去年のたった2度の農業体験のなかで私は感じ取ってしまっている。 おそらくこれから、私が農業のフィールドに立ってから直面する問題となる事は想像に難くない。
安価なものにはきちんと”理由”があるのである。
強いものが、弱者を切り捨てたり、囲ったりしながら更に富み強大になり、弱いものはますます窮地に追いやられていく。 そんな傾向はここでも垣間見る事ができる。
わかっていながら、高く買ってあげられない。 お金の無いものは、健康な食生活も送れず、病気になっても思うように医療が受けられず、人知れず苦しみ死んでゆく。 このつらさが、そしてこの世の中の矛盾がわかってもらえるでしょうか。 これが資本(お金)主義というものです。 人の健康や、心の問題など二の次でいいよ、というのがこの資本(お金)主義という世界の仕組み、宿命なのです。 私達の国は資本主義国家です、と宣言した時、それは、私達の国はお金第一主義国家です、と宣言したのと同じ事なのです。
こんな世界に、私達は暮らしているのです。
政治に問題がある、社会のシステムにも問題がある、いや、もっと大きな、闇の権力の陰謀もある。 でも、今の世界の諸問題の本質は、実はもっともっと身近なところにあるのではないでしょうか。 あなた と わたし。 両者の間にあるものは何でしょう。 実はそんなところから始まっているような気がします。 誰か具体的な人物、組織、あるいは対象となるシステムなりを悪者にして、それを叩き、消し去れば解決するような問題ではないと私は思います。 もはや対症療法で解決できる問題ではなくなってしまっているような気がします。
そんな中で、農業という世界に私は飛び込んでいこうとしている訳です。 農業、いや、農を主軸とした生き方への転換に、今はまだはっきりとはしていないのですが、なんというか、これからの世界の創造という希望を感じているのです。 と、言うか、理屈抜きで、「お前は農業へ行け!」という心の声が、奥深い所でいつもしている訳なのですが。
ちょっと脱線してしまいました。 そうそう、この半値で50円に下げられたロメインレタスの話をしていたんですよね。
今日の晩はこれを食べたのみ。 虫さんになったかのようだ。
しかし、これがうまかった。 感動した。
今の心と体にぴったりと はまったようだ。
よかった。 感動できて。 唯一これが今日の良かった事だ。
きっと人間の体内では、元素転換等もっと高度な事をやってくれているだろうから大丈夫という事に今日はしておこう!
ありがとう。 ロメインレタス。 塩。 マヨネーズ。 他、すべてのもの達へ。
今、ここに感謝を
。
暗い話で御免なさいね。
ありがとうございました。

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