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 あらたなる胎動

 昨日はなかなか眠れなかった。 ネットでお気に入りのページや気になること(宇○塾、ルー○ー田中さんについて悪く書かれている事、クスリの事、食の安全、世の中の事etc・・・)を見ていたら、案外集中してしまい、気がついたら午前4時30分を回っていた。

 かれこれ6時間位やっていただろうか。 ふとんにくるまって寝ようとしたが寝付けない。 ここまでくるとしようがない。 眠くなるまで時間をやり過ごした。 やっと寝たのが、うっすら外が明るくなり始める午前6時半頃だと思う。 すっかり常識的な生活リズムとはかけ離れてしまっている。 だが、私はもうさほど気にしていない。 太陽のリズムといっしょになれていない事については気になっているが、それが必要だと思うときは、きっとそうしているだろう。 今は今、なのだ。 責めてもしかたがない。

 もう太陽も高い位置にある12時半頃だろうか、モヤモヤと目が覚め始めてすぐに布団の中からマウスに手がのびる (だらしない・・) 。 昨日の最後に読みかけていた 縄文人と書いてな○・ふ○ひとさんの ”2012年の黙示録”のサイトの中の「新約聖書の超解釈」のページが映しだされている。 うとうとした意識の中で横になりながらホイールでスクロールさせながらその文章を目で追っていた。

 すらすらっと入ってくる。 乾いたスポンジに水がしみ込んでいくかの様だ。 一文言づつ反復し、噛みしめながら読み進めていた時にはもうすっかり目が覚めていた。 気付き、と言うものは、まったく 何処で、どんな形でやってくるかわからない。

 なにかわくわくする感じと安心感があった。 内容は新約聖書から抜粋されたいくつかの文言と、それを なわさんがわかりやすく解釈してくれている。 というものだ。

 神は、いついかなるときも、あなたとともにあるんですよ。という事。 そしてそれは、あなたが信じさえすればいつでもそれを感じる事ができるのですよ。 という事。 ただ信じる事ができれば、信念があれば、海の上を歩いて渡る事だってできるのですよ。 山だって動かす事ができるんですよと。 とても大きく、力にあふれた言葉だと思います。 以下に、今日のようなうつな状態になってみて初めて私の腑に落ちていった、感銘を受けた言葉たちを新約聖書より列挙させてもらいたいと思います。 興味をもたれた方は、なわさんのホームページへ行かれてみると良いと思います。 

  

   心をつくして神を愛しなさい。 

  ひとりの律法学者が、イエスを試そうとして質問した。「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい』。これがいちばん大切な、第1のいましめです。第2もこれと同様です。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛しなさい』。これら2つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっています。」

 ここはあまり目に留まりませんでした。

 ここからです。

   自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。 

 敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためです。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからです。あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあるでしょうか。そのようなことは取税人でもするではありませんか。兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすぐれた事をしているでしょうか。そのようなことは異邦人でもしているではありませんか。それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

  あなたがたはこう祈りなさい。

 天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
 御国がきますように、みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をおゆるしください。
 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
 もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるでしょう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないでしょう。

 人をさばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるでしょう。

 だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにしなさい。これが律法であり預言者です。

 そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言いません。七たびを七十倍するまでしなさい」。

 それだから、天国は王が僕(しもべ)たちと決算をするようなものです。決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきました。しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じました。そこで、この僕はひれ伏して哀願しました、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやりました。
  その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金をかえせ』と言いました。そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼みました。しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れました。その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話しました。そこでこの主人は彼を呼びつけて言いました、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたしました。あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるでしょう」。

 悪人に手向かってはいけません。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着も与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて1マイル行かせようとするなら、その人と共に2マイル行きなさい。求めようとする者には与えなさい。借りようとする者を断ってはいけません。

  この世での報いを求めず、 神の国に富を積みなさい。

 自分の義を、見られるために人の前で行なわないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたの父から報いを受けることがないでしょう。だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きなしてはいけません。よく言っておきますが、彼らはその報いを受けてしまっています。
  あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせてはいけません。それは、あなたのする施しが隠れているためです。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるでしょう。

 祈る時には、偽善者たちのようにしてはいけません。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好みます。よく言っておきますが、彼らはその報いを受けてしまっているのです。あなたは祈る時には、自分の部屋にはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるでしょう。

 断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをしてはいけません。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのです。よく言っておきますが、彼らはその報いを受けてしまっています。あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは断食をしていることが人に知られないで、隠れたところにおいでになるあなたの父に知られるためです。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるでしょう。

 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはなりません。むしろ自分のため、虫も食わさず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すことのない天に、宝をたくわえなさい。だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方を親しんで他方をうとんじるからです。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできません。

 「天国は、一粒のからし種のようなものです。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になります」。またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものです。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんできます」。

 イエスは譬(たとえ)で多くの事を語り、こう言われた、「見なさい、種まきが種をまきに出て行きました。まいているうちに、道ばたに落ちた種がありました。すると鳥がきて食べてしまいました。ほかの種は土が薄い石地に落ちました。そこは土が深くないので、すぐ芽を出しましたが、日が上ると焼けて、根がないため枯れてしまいました。ほかの種はいばらの地に落ちました。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまいました。ほかの種はよい地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなりました」。(中略)だれでも御国の言葉を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行きます。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことです。石地にまかれたものというのは、御言(みことば)を聞くと、すぐによろこんで受ける人のことです。その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言(みことば)のために困難や迫害が起こってくると、すぐつまずいてしまいます。また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言(みことば)をふさぐので、実を結ばなくなる人のことです。また、よい地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのです」。また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものです」。

   この世では幼子のように自分を低くしなさい。

 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国はだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないでしょう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国ではいちばん偉いのです。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名ゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのです。しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者ひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になります」。

 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっています。あなたがたの間ではそうであってはなりません。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う人は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う人は、僕とならねばなりません

 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるでしょう。

 そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはなりません。天国はこのような者の国です」。

   神の力を疑ってはなりません。

 それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを船に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。そして群衆を解散させてから、祈るためにひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが船は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。
 イエ スは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりしなさい。わたしです。恐れることはありません」と言われた。するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは船からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い人よ、なぜ疑ったのですか」。

 それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った。「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからです。よく言い聞かせておきますが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るでしょう。このように、あなたがたにできない事は、何もないでしょう。〔しかし、このたぐいは、祈りと断食とによらなければ、追い出すことはできません〕」。

 朝早く都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかには何も見当たらなかった。そこで木にむかって、「今から後いつまでも、あなたには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
  弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。イエスは答えて言われた、「よく聞きなさい。もしあなたがたが信じて疑わなければ、このいちじくにあったようなことができるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるでしょう。また、祈りのとき、信じて求めるものは、みな与えられるでしょう」。(マタイによる福音書)




 日常生活の煩雑さや横に倣え的な今までの私の日々の生き方の中で、きちんと省みられる事の無かった言葉たちです。

 鬱で苦しかったり、悶々だらだらとしながらも、私の中で、今、確実に変化が起きているようです。 胎動のようなものを感じています。

 ありがとうございます。  今、ここに感謝を・・・。

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